大阪都構想が否決された。今回で、二度目の敗北だ。松井市長は、責任を取って、市長の任期満了後政界を引退すると表明した。吉村知事は、都構想3度目はないと表明した。
惨敗である。賛否は、今回も僅差だが、結果が覆ることはない。2度否決されたという結果が重いのだ。松井市長、吉村知事の意思表明はやむを得ないものだ。
10日ほど前、小生に代わり、お気楽が都構想に関する酒楽としての意見を表明した。支持しないと。小生は、大阪府民でも市民でもないので、結果について、一喜一憂する立場ではない。ただ、日本維新の会、大阪維新の会は、これからどこへ行こうとしているのか、については関心がある。
地方政党としては、大阪維新の会、国政政党としては、日本維新の会。この二重性が維新の特性である。そして、弱点だ。
そもそも、維新という政党は、何を目指すのだ?そこが明らかでないから、地方でも、国政でも将来の展望がないのではないか。
大阪都構想とは、そもそも何なのだ?大阪市、大阪府の二重行政というが、制度上何が問題なのだ?二重行政の制度に問題があるなら、国政政党である、日本維新の会が、国政の場で、全国民に向けて、政策を訴えればいいではないか。それをせず、大阪が問題だというから、説得力がないのだ。順番が逆なのだ。
二重行政の問題点は、全国共通でなければならないのに、大阪だけで訴えるから、説得力がないのだ。そして、〝都“構想というネーミングもよろしくない。大阪が、東京に対抗心を持っているのは、全国民が知っている。”都“構想という言葉は、東京都に対する大阪府、市の対抗心、あるいは、劣等感と思われても致し方かなかろう。仮にそうでなかったとしても、大阪の有権者の中には、そんな恥ずかしいことを言うな、と思っている者が少なからずいるのは、想像に難くない。
繰り返すが、維新は、国政政党なのか?地方政党なのか?どちらなのだ。維新の政党としての目標は何なのだ。例えば、自民党ならば、憲法改正が一丁目一番地の政策だ。ほとんどの野党は、自民党に反対するだけの政党だ。はっきり言うと反日政党だ。小生は、それを軽蔑はするが、はっきりしているのは評価する。
維新は何を目指すのだ。憲法については、ほとんど意見を聞いたことがない。維新の首脳陣からもそういった意見表明を聞いたことがない。つまり、国政に参画する意思はないものと小生は理解する。
だからだめなのだ。党首も、吉村氏も、大阪市長、大阪府知事という立場に甘んじ、党としては国会に議席もあるが、いったい、国会で何を訴えるのだ?党首討論にもならないぞ。そんな国政政党は聞いたことがない。何もかも、中途半端なのだ。
維新は、どこに行こうとしているのだ?これが、はっきりしないうちは、維新に将来はない。
大阪から発祥したのは別に何の問題もない。だが国政政党に脱皮するつもりなら、いつまでも大阪都構想に拘泥するのは、愚の骨頂だ。早くから党首以下、首脳陣が国政の場に進出し、国政の場で、二重行政の問題を訴え、全国の中の一つとして、二重行政を是正すればいいではないか。
一地方自治体の行政を変更しようとする住民投票に敗れ、党首が辞任する。大阪維新に未来はない。当然、日本維新の会にも未来はない。せめて、松井党首は、市長を辞任し、次の衆院選に出馬すべきだ。それなら、維新に未来はある。だが、大阪の住民投票に敗れたから党首を辞任するというのは、国政に関与するつもりはないと、宣言するようなものではないか?国会に籍のある日本維新の会の議員に対し、どう責任を取るのだ。いや、彼らに投票した有権者に何と説明するのだ。裏切りだ。
吉村知事は、大阪での3度目はないといったが、せめて国政の場から、改革すると宣言すれば、大阪市民は応援するに違いない。優先順位を間違えるな。有権者を裏切らず、責任政党として、国政に進出せよ。そして、全国民に対して、説得力のある政策を訴えよ。これが、政治家としての責任の取り方であり、筋を通すということなのだ。
国政政党して脱皮するにあたっては、確固たる国家観が必要だ。いつまでも学校の生徒会ではだめだ。憲法について、経済について、教育について、しっかりと訴えるべきだ。自ずから支持されるだろう。
目的と目標を明らかにすべきだ。どこに行くか、はっきりしろ、維新。
惨敗である。賛否は、今回も僅差だが、結果が覆ることはない。2度否決されたという結果が重いのだ。松井市長、吉村知事の意思表明はやむを得ないものだ。
10日ほど前、小生に代わり、お気楽が都構想に関する酒楽としての意見を表明した。支持しないと。小生は、大阪府民でも市民でもないので、結果について、一喜一憂する立場ではない。ただ、日本維新の会、大阪維新の会は、これからどこへ行こうとしているのか、については関心がある。
地方政党としては、大阪維新の会、国政政党としては、日本維新の会。この二重性が維新の特性である。そして、弱点だ。
そもそも、維新という政党は、何を目指すのだ?そこが明らかでないから、地方でも、国政でも将来の展望がないのではないか。
大阪都構想とは、そもそも何なのだ?大阪市、大阪府の二重行政というが、制度上何が問題なのだ?二重行政の制度に問題があるなら、国政政党である、日本維新の会が、国政の場で、全国民に向けて、政策を訴えればいいではないか。それをせず、大阪が問題だというから、説得力がないのだ。順番が逆なのだ。
二重行政の問題点は、全国共通でなければならないのに、大阪だけで訴えるから、説得力がないのだ。そして、〝都“構想というネーミングもよろしくない。大阪が、東京に対抗心を持っているのは、全国民が知っている。”都“構想という言葉は、東京都に対する大阪府、市の対抗心、あるいは、劣等感と思われても致し方かなかろう。仮にそうでなかったとしても、大阪の有権者の中には、そんな恥ずかしいことを言うな、と思っている者が少なからずいるのは、想像に難くない。
繰り返すが、維新は、国政政党なのか?地方政党なのか?どちらなのだ。維新の政党としての目標は何なのだ。例えば、自民党ならば、憲法改正が一丁目一番地の政策だ。ほとんどの野党は、自民党に反対するだけの政党だ。はっきり言うと反日政党だ。小生は、それを軽蔑はするが、はっきりしているのは評価する。
維新は何を目指すのだ。憲法については、ほとんど意見を聞いたことがない。維新の首脳陣からもそういった意見表明を聞いたことがない。つまり、国政に参画する意思はないものと小生は理解する。
だからだめなのだ。党首も、吉村氏も、大阪市長、大阪府知事という立場に甘んじ、党としては国会に議席もあるが、いったい、国会で何を訴えるのだ?党首討論にもならないぞ。そんな国政政党は聞いたことがない。何もかも、中途半端なのだ。
維新は、どこに行こうとしているのだ?これが、はっきりしないうちは、維新に将来はない。
大阪から発祥したのは別に何の問題もない。だが国政政党に脱皮するつもりなら、いつまでも大阪都構想に拘泥するのは、愚の骨頂だ。早くから党首以下、首脳陣が国政の場に進出し、国政の場で、二重行政の問題を訴え、全国の中の一つとして、二重行政を是正すればいいではないか。
一地方自治体の行政を変更しようとする住民投票に敗れ、党首が辞任する。大阪維新に未来はない。当然、日本維新の会にも未来はない。せめて、松井党首は、市長を辞任し、次の衆院選に出馬すべきだ。それなら、維新に未来はある。だが、大阪の住民投票に敗れたから党首を辞任するというのは、国政に関与するつもりはないと、宣言するようなものではないか?国会に籍のある日本維新の会の議員に対し、どう責任を取るのだ。いや、彼らに投票した有権者に何と説明するのだ。裏切りだ。
吉村知事は、大阪での3度目はないといったが、せめて国政の場から、改革すると宣言すれば、大阪市民は応援するに違いない。優先順位を間違えるな。有権者を裏切らず、責任政党として、国政に進出せよ。そして、全国民に対して、説得力のある政策を訴えよ。これが、政治家としての責任の取り方であり、筋を通すということなのだ。
国政政党して脱皮するにあたっては、確固たる国家観が必要だ。いつまでも学校の生徒会ではだめだ。憲法について、経済について、教育について、しっかりと訴えるべきだ。自ずから支持されるだろう。
目的と目標を明らかにすべきだ。どこに行くか、はっきりしろ、維新。
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