<日本人の忘れられない中国>「かつて我が国と日本は戦争を…」=中国人教師の温かくて優しい教え 日本僑報社 2023年4月16日(日)
こういう事実があったのか、こういう現場があったのか、驚きです。ただ、文中にある革命の歌や毛沢東の話には頷けます。
酒楽が生まれた地域に、ある時、中国展の催しがありました。友達に誘われ、町の公民館に行ってみたのです。そこには、中国の文物が置かれていて、別室では中国の映画が上映されていました。
その映画は戦争映画で、今思うと「長征」の話だったと思います。古臭い映像で、中国共産党の兵士が戦い、勝利を得る、ような筋書きだったと記憶しています。
文物の中で目を引いたのは、「毛沢東語録」です。それが何十冊も置いてあるのです。ペラペラめくってみましたが、面白そうではなかったので買うことはありませんでした。それよりも書道の道具の方に目が行きました。当時中学生だった酒楽は、書道クラブに入っていたのです。陳列されている筆や墨は、日本にはないもので、なかなかいいものだったのです。中学生ですから、そんなにお金を持っているはずもありませんが、少ない小遣い銭の中からお金を出して、これはと思う筆を買ったのです。大事に使ったのは言うまでもありません。
話がずれました。中国はああいう形で、少しでも中国を理解してもらおうと努力していたのは間違いないでしょう。そこで見た中国が酒楽にとっては、終生忘れられない中国というものの原型と言うか、イメージなのです。
記事では、その当時の中国本土で、どれだけ日中友好が国策だったのかをはっきり示していますね。加山さんは、いいときに中国で教育を受けたのだと言うことです。
現在は、ネットを通じて、他国の人の考えや意見を簡単に見つけることができますが、現地の素朴な中国人が本当にどういう考えを持っているのかは、話してみないとわからない部分もあるのだな、と思うものです。ただし、当時の現地中国人が、当局の強い統制下にあったのだけは間違いないでしょう。そうでなければ、そのような待遇である筈がないからです。ただ、いい話であることは間違いないですね。謝謝。
こういう事実があったのか、こういう現場があったのか、驚きです。ただ、文中にある革命の歌や毛沢東の話には頷けます。
酒楽が生まれた地域に、ある時、中国展の催しがありました。友達に誘われ、町の公民館に行ってみたのです。そこには、中国の文物が置かれていて、別室では中国の映画が上映されていました。
その映画は戦争映画で、今思うと「長征」の話だったと思います。古臭い映像で、中国共産党の兵士が戦い、勝利を得る、ような筋書きだったと記憶しています。
文物の中で目を引いたのは、「毛沢東語録」です。それが何十冊も置いてあるのです。ペラペラめくってみましたが、面白そうではなかったので買うことはありませんでした。それよりも書道の道具の方に目が行きました。当時中学生だった酒楽は、書道クラブに入っていたのです。陳列されている筆や墨は、日本にはないもので、なかなかいいものだったのです。中学生ですから、そんなにお金を持っているはずもありませんが、少ない小遣い銭の中からお金を出して、これはと思う筆を買ったのです。大事に使ったのは言うまでもありません。
話がずれました。中国はああいう形で、少しでも中国を理解してもらおうと努力していたのは間違いないでしょう。そこで見た中国が酒楽にとっては、終生忘れられない中国というものの原型と言うか、イメージなのです。
記事では、その当時の中国本土で、どれだけ日中友好が国策だったのかをはっきり示していますね。加山さんは、いいときに中国で教育を受けたのだと言うことです。
現在は、ネットを通じて、他国の人の考えや意見を簡単に見つけることができますが、現地の素朴な中国人が本当にどういう考えを持っているのかは、話してみないとわからない部分もあるのだな、と思うものです。ただし、当時の現地中国人が、当局の強い統制下にあったのだけは間違いないでしょう。そうでなければ、そのような待遇である筈がないからです。ただ、いい話であることは間違いないですね。謝謝。
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