「長老が国家危機に苦言…習氏『私のせいなのか』側近に激怒」 ⓒ 中央日報/中央日報日本語版 2023.09.06
中沢委員は習主席が「別の場で怒りを爆発させた」と伝えた。習主席は「(鄧小平、江沢民、胡錦濤という)過去三代が残した問題が、全て(自分に)のしかかってくる」とし「(その処理のため、就任してから)10年も頑張ってきた。だが問題は片付かない。これは、私のせいだというのか?」と言って側近に不満を表出したという。
中央日報からの引用です。なかなか興味深い記事だと思います。中央日報がソースだとしても。
キンペーは、そもそも自身の立場を理解していないのです。主席という立場は、毛沢東死去以来、独裁者の立場ではなく、集団指導体制の中における「首席」の立場なのです。主席として、他の同僚の上に立っているのではないのです、本来。それは、毛沢東という独裁者の暴虐の歴史の反省の賜物なのです。
鄧小平は、その辺をよく理解していました。鄧は、中国共産党内での最高実力者と呼ばれました。自身は最後まで主席という立場に立つことはありませんでした。常に集団指導体制を重んじ、それを覆せばできたはずなのに、決して覆さなかったのです。覆せば、いずれ独裁者が登場し、民を苦しめることになるのは必定だからです。
江沢民、胡錦涛は、鄧の遺訓を守り、集団指導体制を崩さず、あくまでの集団の中の首席だったのです。絶対的権力者、すなわち独裁者ではなかったのです。
しかし、習は異なりました。就任から数年を経ると、党中央からの指示により「落馬」する者が続出したのです。「落馬」とは、汚職などの罪により、職を追われることを意味します。何十人、何百人、何千人もの落馬が起きました。
こうやって徐々に政敵を葬り、独裁体制を築いたのが習近平なのです。それを加速させた責任は胡錦涛です。江沢民のように、主席辞任後に数年間「中央軍事委員会主席」にとどまり、後任者の手綱を握っていれば、習も簡単には独裁権力を手に入れることはできなかったでしょう。しかし、胡錦涛はあっさりと身を引き、中央軍事委員会主席の座もキンペーに譲ってしまったのです。
だから習は、当初から権力を行使することができたのです。胡錦涛自身は、江沢民が軍事委員会主席として目を光らせていたので、権力を乱用することもなく、中国経済発展に注力したのです。
2期目までに権力を確立した習は、2期目の間に、集団指導体制そのものを葬り、独裁者になったのです。そして、能力の無い習は、外交や経済、軍事に関して、うまく行かなければ、あるいは、自身の意見に従わない部下がいれば、容赦なく交代させているのです。秦外相の更迭、国防長官の失脚もその延長線上の出来事でしょう。
そして遂に長老が怒ったと言うのが、中央日報の記事です。「私のせいだと言うのか?」と習は言ったそうです。ここに中国混迷の原因があります。独裁者の習は、自身の権力と責任の所在さえ、ろくに認識していないのです。独裁が成立した時点で、全ての責任は独裁者に集中するのです。だから責任は全て習なのです。当たり前でしょ?他に誰が責任をとれると言うのでしょう。そういうことさえ習が理解できていないのであれば、中国の将来は暗いものと言わざるを得ません。毛沢東の悪夢がよみがえるかもしれませんね。しかし、中国とはそういう国です。何千年と同じことを繰り返してきたのです。支那は。
支那に悪夢が再来することは、日本にとって決して悪いことではないでしょう。対外冒険を決心しない限り、暴虐の嵐は、支那の高官と民に向かうからです。21世紀に文化大革命が再来するかもしれません。準備すべきでしょう、日本は。
中沢委員は習主席が「別の場で怒りを爆発させた」と伝えた。習主席は「(鄧小平、江沢民、胡錦濤という)過去三代が残した問題が、全て(自分に)のしかかってくる」とし「(その処理のため、就任してから)10年も頑張ってきた。だが問題は片付かない。これは、私のせいだというのか?」と言って側近に不満を表出したという。
中央日報からの引用です。なかなか興味深い記事だと思います。中央日報がソースだとしても。
キンペーは、そもそも自身の立場を理解していないのです。主席という立場は、毛沢東死去以来、独裁者の立場ではなく、集団指導体制の中における「首席」の立場なのです。主席として、他の同僚の上に立っているのではないのです、本来。それは、毛沢東という独裁者の暴虐の歴史の反省の賜物なのです。
鄧小平は、その辺をよく理解していました。鄧は、中国共産党内での最高実力者と呼ばれました。自身は最後まで主席という立場に立つことはありませんでした。常に集団指導体制を重んじ、それを覆せばできたはずなのに、決して覆さなかったのです。覆せば、いずれ独裁者が登場し、民を苦しめることになるのは必定だからです。
江沢民、胡錦涛は、鄧の遺訓を守り、集団指導体制を崩さず、あくまでの集団の中の首席だったのです。絶対的権力者、すなわち独裁者ではなかったのです。
しかし、習は異なりました。就任から数年を経ると、党中央からの指示により「落馬」する者が続出したのです。「落馬」とは、汚職などの罪により、職を追われることを意味します。何十人、何百人、何千人もの落馬が起きました。
こうやって徐々に政敵を葬り、独裁体制を築いたのが習近平なのです。それを加速させた責任は胡錦涛です。江沢民のように、主席辞任後に数年間「中央軍事委員会主席」にとどまり、後任者の手綱を握っていれば、習も簡単には独裁権力を手に入れることはできなかったでしょう。しかし、胡錦涛はあっさりと身を引き、中央軍事委員会主席の座もキンペーに譲ってしまったのです。
だから習は、当初から権力を行使することができたのです。胡錦涛自身は、江沢民が軍事委員会主席として目を光らせていたので、権力を乱用することもなく、中国経済発展に注力したのです。
2期目までに権力を確立した習は、2期目の間に、集団指導体制そのものを葬り、独裁者になったのです。そして、能力の無い習は、外交や経済、軍事に関して、うまく行かなければ、あるいは、自身の意見に従わない部下がいれば、容赦なく交代させているのです。秦外相の更迭、国防長官の失脚もその延長線上の出来事でしょう。
そして遂に長老が怒ったと言うのが、中央日報の記事です。「私のせいだと言うのか?」と習は言ったそうです。ここに中国混迷の原因があります。独裁者の習は、自身の権力と責任の所在さえ、ろくに認識していないのです。独裁が成立した時点で、全ての責任は独裁者に集中するのです。だから責任は全て習なのです。当たり前でしょ?他に誰が責任をとれると言うのでしょう。そういうことさえ習が理解できていないのであれば、中国の将来は暗いものと言わざるを得ません。毛沢東の悪夢がよみがえるかもしれませんね。しかし、中国とはそういう国です。何千年と同じことを繰り返してきたのです。支那は。
支那に悪夢が再来することは、日本にとって決して悪いことではないでしょう。対外冒険を決心しない限り、暴虐の嵐は、支那の高官と民に向かうからです。21世紀に文化大革命が再来するかもしれません。準備すべきでしょう、日本は。
ご清聴ありがとうございました。ポチッとしていただけると励みになります。フォローバナーもよろしくお願いします。

政治ランキング

にほんブログ村
- 関連記事
-
-
中国人は世界の常識を本当に知らないのか? 2023/10/05
-
皇帝の権威 したたかな庶民 2023/10/03
-
独裁の行きつく果て 2023/09/27
-
中共は人民の食を確保できるのか 2023/09/25
-
お前のせいに決まってるだろw 2023/09/21
-
日本に劣等感を抱く中国 2023/09/18
-
中国進出企業は「中国支援者」だ 2023/09/04
-
隠しきれない中国的事実 2023/09/04
-
それでも中国で儲けたいのか? 2023/08/30
-
スポンサーサイト