日本の小中学生は午後3時30分に下校する=中国ネット「まぼろしに違いない!」 Record China 2023年10月28日
日本の小中学生が午後3時30分に下校する、ことに驚いている中国人、と言う構図です。中国の場合、授業の終わるのが5時30分くらいで、その後に補習や自宅での宿題があると嘆いている、そうです。
「日本でも学力を伸ばしたければ、この後に塾に行くんだよ」
これだけかな的を得ているのは、と思いました。まあそれにしても中国が激烈な競争社会であることは記事から窺えます。日本の小中学校の下校時刻の早さを羨ましがる?のも当然かなと思います。
でも、その後に塾に通う日本人小中学生には触れていないので、表題のようなことになるのでしょうね。日本人だって、激烈な競争社会に生きていますよ。早いところでは、私立の小学校入学のための「お受験」なんかがありますね。まああまり一般的ではありませんが、その地域に居住し、それなり教育熱心で、財力がある家庭なら挑戦させるかもしれませんね。
次は中学受験です。首都圏を含む大都市圏には、東大を目指すための中高一貫校が数多存在します。同じように教育熱心で…以下同じ、家庭なら挑戦させるでしょう。この場合、早ければ小学校3年生くらいから通わせ、4年間の受験勉強を経て、私立中高一貫校を受験させますね。
この4年間は、塾で勉強付けになります。日曜日が休みくらいで、あとは一年中勉強です。だからといって学校の宿題をやらなくていい、と言うわけではないので、塾に通わない児童に比べれば大変な試練だと思います。
中学受験をしなくとも、高校受験に際しては、ほとんどの生徒が何らかの形で塾に通うでしょう。私立も含め高校にもランキングがあるので、有名大学を目指すため、難関高校に入学させたいのは今も昔も変わりませんね。
そして最後の関門が大学入試です。こういう日本の小中学生の実態をこの記事では伝えていないので、こういう表題になるのでしょう。どんな国でも、一定の文化レベルに到達すれば、こういった幼少期からの勉強を避けて通ることはできないのです。人間社会が競争社会である以上、どんなくくりであろうが集団の中での競争を避けることはできないし、競争に勝つために努力せざるを得ないのは、古今東西変わることの無い真理です。日本だけがそういう競争から免れているはずがないじゃないですか。そして、日本国内における受験競争を常日頃批判する左翼界隈は、自らの経験はさておき、受験競争は非人間的だと批判するのです。
何言ってんだ、と思います。競争の無い社会や民族は、他の国家や民族との競争に敗れる運命にあるのです。だから民族や国家の中で激烈な競争があるということは、国家を維持するうえで極めて有効な制度なのです。日本だけがそれを免れていると考える方がおかしいでしょう。
レコチャは、結構物事の本質を突く面白い記事が多いのですが、今回のこの記事は珍しく突っ込み不足だなと思いましたww諸外国の士官候補生と交流する機会の多い防衛大ですが、他国に対し、決して負けてはいないと思います。突出して秀でているわけでもないでしょうけどww酒楽のように平平凡凡なものがいるのも日本が平和な証拠かもしれません。まあ、最近はそうもいっていられないようですが。
中国の競争が日本以上だと言うのは当たっているかな、と思います。しかし、社会の体制が自由競争社会でないのは、致命的でしょうね。特に学問の世界は、自由闊達な意見交換が本質なので、それに制限のある社会は、結局最先端技術の開発競争に負けるしかないのです。それができない国は、そういう国から窃取するしかないのですが、どうしても一歩遅れるのと同時に、経済的にも勝利することは難しいでしょう。その壁にぶち当たっているのが中国です。制度の本質的な欠点を、激烈な競争だけで克服することはできません。それが中国など独裁国家の弱点と言えるでしょう。
先日も書きましたが、中国では習近平の独裁が確立し、政治的な自由度はますます狭められています。政治的な不自由は、経済や学問の分野にも波及しています。だから優秀な学生ほど中国の将来を悲観して出国しているのでしょう。中国の春秋戦国時代でも同じで、有能な王、宰相の下には、才能のある士大夫が結集したのです。例えば《隗より始めよ。中国の戦国時代、郭隗 (かくかい) が燕 (えん) の昭王に賢者の求め方を問われて、賢者を招きたければ、まず凡庸な私を重く用いよ、そうすれば自分よりすぐれた人物が自然に集まってくる、と答えたという「戦国策」燕策の故事から、と言う故事があります。
独裁者となった習が最初に行わなければならないのは、国内から広く賢者を集めることでしょう。ところが中国から賢者が逃げ始めているのです。習の下に隗 はおらず、習も賢者を集めようとは思っていないと言うことです。そもそも2期10年の間、李克強という有能な人材がいたにもかかわらず、実務から遠ざけた習は、墓穴を掘ったと言うことであり、これから先、習の下に率先してはせ参じようとする人材はいないと言うことです。
14億の民を統べるのは並大抵なことではないでしょう。草創の毛沢東は別としても、最高実力者となった鄧小平は有能でした。しかし、鄧小平の遺訓は、4期20年しか受け継がれなかったのです。習を指名した江沢民の無能さが、中共の滅亡を決定づけたと言うことでしょう。中国人民にとって不幸だったのは、最も無能な者がなってはならない、皇帝になったと言うことでしょう。無能な独裁者が国内の大問題から民の目を逸らさせるために対外冒険に出るのは、歴史の必然です。防衛準備は喫緊の課題と言うべきと思います。
日本の小中学生が午後3時30分に下校する、ことに驚いている中国人、と言う構図です。中国の場合、授業の終わるのが5時30分くらいで、その後に補習や自宅での宿題があると嘆いている、そうです。
「日本でも学力を伸ばしたければ、この後に塾に行くんだよ」
これだけかな的を得ているのは、と思いました。まあそれにしても中国が激烈な競争社会であることは記事から窺えます。日本の小中学校の下校時刻の早さを羨ましがる?のも当然かなと思います。
でも、その後に塾に通う日本人小中学生には触れていないので、表題のようなことになるのでしょうね。日本人だって、激烈な競争社会に生きていますよ。早いところでは、私立の小学校入学のための「お受験」なんかがありますね。まああまり一般的ではありませんが、その地域に居住し、それなり教育熱心で、財力がある家庭なら挑戦させるかもしれませんね。
次は中学受験です。首都圏を含む大都市圏には、東大を目指すための中高一貫校が数多存在します。同じように教育熱心で…以下同じ、家庭なら挑戦させるでしょう。この場合、早ければ小学校3年生くらいから通わせ、4年間の受験勉強を経て、私立中高一貫校を受験させますね。
この4年間は、塾で勉強付けになります。日曜日が休みくらいで、あとは一年中勉強です。だからといって学校の宿題をやらなくていい、と言うわけではないので、塾に通わない児童に比べれば大変な試練だと思います。
中学受験をしなくとも、高校受験に際しては、ほとんどの生徒が何らかの形で塾に通うでしょう。私立も含め高校にもランキングがあるので、有名大学を目指すため、難関高校に入学させたいのは今も昔も変わりませんね。
そして最後の関門が大学入試です。こういう日本の小中学生の実態をこの記事では伝えていないので、こういう表題になるのでしょう。どんな国でも、一定の文化レベルに到達すれば、こういった幼少期からの勉強を避けて通ることはできないのです。人間社会が競争社会である以上、どんなくくりであろうが集団の中での競争を避けることはできないし、競争に勝つために努力せざるを得ないのは、古今東西変わることの無い真理です。日本だけがそういう競争から免れているはずがないじゃないですか。そして、日本国内における受験競争を常日頃批判する左翼界隈は、自らの経験はさておき、受験競争は非人間的だと批判するのです。
何言ってんだ、と思います。競争の無い社会や民族は、他の国家や民族との競争に敗れる運命にあるのです。だから民族や国家の中で激烈な競争があるということは、国家を維持するうえで極めて有効な制度なのです。日本だけがそれを免れていると考える方がおかしいでしょう。
レコチャは、結構物事の本質を突く面白い記事が多いのですが、今回のこの記事は珍しく突っ込み不足だなと思いましたww諸外国の士官候補生と交流する機会の多い防衛大ですが、他国に対し、決して負けてはいないと思います。突出して秀でているわけでもないでしょうけどww酒楽のように平平凡凡なものがいるのも日本が平和な証拠かもしれません。まあ、最近はそうもいっていられないようですが。
中国の競争が日本以上だと言うのは当たっているかな、と思います。しかし、社会の体制が自由競争社会でないのは、致命的でしょうね。特に学問の世界は、自由闊達な意見交換が本質なので、それに制限のある社会は、結局最先端技術の開発競争に負けるしかないのです。それができない国は、そういう国から窃取するしかないのですが、どうしても一歩遅れるのと同時に、経済的にも勝利することは難しいでしょう。その壁にぶち当たっているのが中国です。制度の本質的な欠点を、激烈な競争だけで克服することはできません。それが中国など独裁国家の弱点と言えるでしょう。
先日も書きましたが、中国では習近平の独裁が確立し、政治的な自由度はますます狭められています。政治的な不自由は、経済や学問の分野にも波及しています。だから優秀な学生ほど中国の将来を悲観して出国しているのでしょう。中国の春秋戦国時代でも同じで、有能な王、宰相の下には、才能のある士大夫が結集したのです。例えば《隗より始めよ。中国の戦国時代、郭隗 (かくかい) が燕 (えん) の昭王に賢者の求め方を問われて、賢者を招きたければ、まず凡庸な私を重く用いよ、そうすれば自分よりすぐれた人物が自然に集まってくる、と答えたという「戦国策」燕策の故事から、と言う故事があります。
独裁者となった習が最初に行わなければならないのは、国内から広く賢者を集めることでしょう。ところが中国から賢者が逃げ始めているのです。習の下に隗 はおらず、習も賢者を集めようとは思っていないと言うことです。そもそも2期10年の間、李克強という有能な人材がいたにもかかわらず、実務から遠ざけた習は、墓穴を掘ったと言うことであり、これから先、習の下に率先してはせ参じようとする人材はいないと言うことです。
14億の民を統べるのは並大抵なことではないでしょう。草創の毛沢東は別としても、最高実力者となった鄧小平は有能でした。しかし、鄧小平の遺訓は、4期20年しか受け継がれなかったのです。習を指名した江沢民の無能さが、中共の滅亡を決定づけたと言うことでしょう。中国人民にとって不幸だったのは、最も無能な者がなってはならない、皇帝になったと言うことでしょう。無能な独裁者が国内の大問題から民の目を逸らさせるために対外冒険に出るのは、歴史の必然です。防衛準備は喫緊の課題と言うべきと思います。
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