制服自衛官の証言が早くも進化しています
2021-05-25 17:25:28 青山繫晴の道すがらエッセイ
https://shiaoyama.com/essay/detail.php?id=2819&flag=2#comment_input
青山氏の道すがらエッセイからの引用です。
今回は、現職自衛官と一緒に写真に写っていますね。それもバリバリのエリート自衛官です。陸幕、海幕、空幕及び統幕の各防衛(計画)部長です。
幕僚監部の防衛部長は、それぞれ陸海空及び統幕における防衛計画の作成及び部隊の運用を司っています。
防衛(計画)部長は、いずれ幕僚長や方面総監あるいは司令官になられる方が多い。つまり、我が国防衛の要を担っている方々です。そういう面々が、自民党の国防部会・安保調査会の合同会議に参加して発言しているようです。
我が国の安全保障環境の厳しさを訴えているものと思います。頑張ってください。
ところで、拙稿の関心はそこではなく、「制服」です。青山氏も会社を経営されていた時代から、自衛官に制服を着て公の場に現れていただきたいと常々考え、訴えられていたのですね。引用した記事にそのように書かれていました。
その考えには酒楽も同意します。ですが、簡単ではありません。それは何故かと言えば、命の危険があるからです。
そんな大袈裟な、と思われる方が多いと思います。ですが、決して大袈裟ではありません。これから申し述べることは、あくまでも酒楽個人の考えなので、そのつもりで読んでいただきたいと思います。自衛官の総意ではありません。
公の場、例えば、自衛官が制服を着て、バスや電車に乗る、ということをおっしゃっているのでしょう。ですが、自衛官が制服を着て、都内を歩いたり、電車に乗っている姿を見ませんね。
現実的な身の危険があるという訳ではありません。ですが、制服を着て歩くということは、自衛隊を嫌っている勢力から見れば、格好の餌食なのです。

たとえば、電車に乗った時に、空いていたので座席に座っていた。でも降車駅に近くなった時には、立っている人も大勢いた。ほんの少しの時間なので、自衛官は気が付かずにそのまま座っていたとしましょう。制服姿で。
必ず非難されるでしょう。場合によっては、週刊誌などのメディアで非難轟轟になる可能性さえあります。
翻って。自衛官は電車やバスの座席に座ってはいけないのでしょうか?
その他様々なケースが考えられますが、制服を着た自衛官は、そう言う目で見られるということなのです。
もちろん、自衛官には「品位を保つ義務」があります。自衛隊法で定められているからです。だから、自衛官は、制服を着ていようといまいと、品位を保つ義務を全うしようとします。
問題は、果たして品位とは何か?です。辞書の定義ではなく、現実の世界で、これほど曖昧な定義はありません。自衛隊を攻撃したい側からは、いかようにでも解釈できます。そして、自衛官と言えども人間です。聖人君子ではありません。
制服自衛官が制服で歩くというのはそういうことです。個人の責任を問われるだけではなく、組織の責任をも負いかぶせられるのは間違いありません。何故ならそれが彼らの狙いだからです。そうやって、潰された自衛官は多数存在します。
個人の責任を追及されるだけなら我慢も出来ましょう。しかし、組織の責任まで追及されたら、その自衛官は、組織に存在を許されなくなるかもしれません。最悪そういう状況も想定されるのです。
覚悟はあるでしょう。しかし、自衛官にも家族がいるのです。国を背負うと同時に家族も背負っています。制服を着て公の場を歩くというのは、米国と違い、日本の場合は、危険極まりないということなのです。ロバート・レッドフォードのような訳にはいきません。
自衛官個人だけならいざ知らず、職を失うことによって家庭まで崩壊させられたら、命の保障はできません。そういうことです。命の危険とは。そして、それについて、組織は全てを保障してくれるわけではないのです。自らの身と家族を守るために敢て危地に臨む必要はないと思います。
自衛官が制服を着て公の場に臨むということは、それらを全て覚悟したうえでの行動だということです。これが酒楽の考えです。忸怩たるものがあるのは事実です。ですが、家族を考えると軽々しく制服で公の場に出るのは難しいのが現実だと思います。
必要なのは、実績です。いずれ、中国その他と矛を交える時が来ると思われます。(そういう事態が来ないことを願いますが)。そして、身を挺して国家を守ることができたら、国民の皆様は、心の底から自衛官に感謝してくれると思います。そういう実績を積んで初めて自衛官は、公の場を誇り高く歩ける日が来るのではないかと思うのです。
読者諸兄の皆様は、どのようにお考えでしょうか。
<PS>
例えが良くないですね。申し訳ありません。いい例えが思いつかなくて。
制服を着ることが誇らしく、自衛官が誰からも賛辞される世の中が来ることを願っています。
災害派遣での自衛官の活躍にあこがれて入隊してくる若者が増えているようです。いいことだと思う反面、そうではない、という思いもあります。
自衛官の役割とは、命を懸けて国を守ることなのです。戦後日本人は、危機感を失い、国を守るということを忘れてしまっています。歌を忘れたカナリアと同じです。
制服自衛官が、国民の前に現れないのはいいことだとは思いません。酒楽とてそう思います。ですが、いつ、何が起こるかわからない、何が起きてもおかしくはない、と自衛隊の高級幹部は常々部下を諭しています。
自衛官の本分は、戦って国を守ることです。繰り返しになりますが。身の危険を顧みず、国家と国民を守ることが自衛官に与えられた最大の任務であり、使命なのです。
その任務を達成する前に、戦場を去るわけにはいきません。どのような恥辱に塗れようとも、戦場にいなければ、任務を達成することはできないのです。
制服を着て公の場に出ることが、危険を伴い、リスクがあるとするならば、それは避けてしかるべき、と酒楽は思うのです。
颯爽と歩いてみたいと、どんな自衛官でも思うでしょう。しかし、制服自衛官を貶めようと考えている勢力が、現実に世の中に存在し、虎視眈々とそれを狙っているとしたならばどうでしょう?
悲しいことにそれが現実です。自衛官としての使命を全うするため、危険を回避するのもまた自衛官の矜持であろうと酒楽は想います。
自衛官が、晴れて制服を着て、国民の前に現れることを願ってやみませんが、当分自粛せざるを得ないと思います。それが、自衛官と国民のためです。
2021-05-25 17:25:28 青山繫晴の道すがらエッセイ
https://shiaoyama.com/essay/detail.php?id=2819&flag=2#comment_input
青山氏の道すがらエッセイからの引用です。
今回は、現職自衛官と一緒に写真に写っていますね。それもバリバリのエリート自衛官です。陸幕、海幕、空幕及び統幕の各防衛(計画)部長です。
幕僚監部の防衛部長は、それぞれ陸海空及び統幕における防衛計画の作成及び部隊の運用を司っています。
防衛(計画)部長は、いずれ幕僚長や方面総監あるいは司令官になられる方が多い。つまり、我が国防衛の要を担っている方々です。そういう面々が、自民党の国防部会・安保調査会の合同会議に参加して発言しているようです。
我が国の安全保障環境の厳しさを訴えているものと思います。頑張ってください。
ところで、拙稿の関心はそこではなく、「制服」です。青山氏も会社を経営されていた時代から、自衛官に制服を着て公の場に現れていただきたいと常々考え、訴えられていたのですね。引用した記事にそのように書かれていました。
その考えには酒楽も同意します。ですが、簡単ではありません。それは何故かと言えば、命の危険があるからです。
そんな大袈裟な、と思われる方が多いと思います。ですが、決して大袈裟ではありません。これから申し述べることは、あくまでも酒楽個人の考えなので、そのつもりで読んでいただきたいと思います。自衛官の総意ではありません。
公の場、例えば、自衛官が制服を着て、バスや電車に乗る、ということをおっしゃっているのでしょう。ですが、自衛官が制服を着て、都内を歩いたり、電車に乗っている姿を見ませんね。
現実的な身の危険があるという訳ではありません。ですが、制服を着て歩くということは、自衛隊を嫌っている勢力から見れば、格好の餌食なのです。

たとえば、電車に乗った時に、空いていたので座席に座っていた。でも降車駅に近くなった時には、立っている人も大勢いた。ほんの少しの時間なので、自衛官は気が付かずにそのまま座っていたとしましょう。制服姿で。
必ず非難されるでしょう。場合によっては、週刊誌などのメディアで非難轟轟になる可能性さえあります。
翻って。自衛官は電車やバスの座席に座ってはいけないのでしょうか?
その他様々なケースが考えられますが、制服を着た自衛官は、そう言う目で見られるということなのです。
もちろん、自衛官には「品位を保つ義務」があります。自衛隊法で定められているからです。だから、自衛官は、制服を着ていようといまいと、品位を保つ義務を全うしようとします。
問題は、果たして品位とは何か?です。辞書の定義ではなく、現実の世界で、これほど曖昧な定義はありません。自衛隊を攻撃したい側からは、いかようにでも解釈できます。そして、自衛官と言えども人間です。聖人君子ではありません。
制服自衛官が制服で歩くというのはそういうことです。個人の責任を問われるだけではなく、組織の責任をも負いかぶせられるのは間違いありません。何故ならそれが彼らの狙いだからです。そうやって、潰された自衛官は多数存在します。
個人の責任を追及されるだけなら我慢も出来ましょう。しかし、組織の責任まで追及されたら、その自衛官は、組織に存在を許されなくなるかもしれません。最悪そういう状況も想定されるのです。
覚悟はあるでしょう。しかし、自衛官にも家族がいるのです。国を背負うと同時に家族も背負っています。制服を着て公の場を歩くというのは、米国と違い、日本の場合は、危険極まりないということなのです。ロバート・レッドフォードのような訳にはいきません。
自衛官個人だけならいざ知らず、職を失うことによって家庭まで崩壊させられたら、命の保障はできません。そういうことです。命の危険とは。そして、それについて、組織は全てを保障してくれるわけではないのです。自らの身と家族を守るために敢て危地に臨む必要はないと思います。
自衛官が制服を着て公の場に臨むということは、それらを全て覚悟したうえでの行動だということです。これが酒楽の考えです。忸怩たるものがあるのは事実です。ですが、家族を考えると軽々しく制服で公の場に出るのは難しいのが現実だと思います。
必要なのは、実績です。いずれ、中国その他と矛を交える時が来ると思われます。(そういう事態が来ないことを願いますが)。そして、身を挺して国家を守ることができたら、国民の皆様は、心の底から自衛官に感謝してくれると思います。そういう実績を積んで初めて自衛官は、公の場を誇り高く歩ける日が来るのではないかと思うのです。
読者諸兄の皆様は、どのようにお考えでしょうか。
<PS>
例えが良くないですね。申し訳ありません。いい例えが思いつかなくて。
制服を着ることが誇らしく、自衛官が誰からも賛辞される世の中が来ることを願っています。
災害派遣での自衛官の活躍にあこがれて入隊してくる若者が増えているようです。いいことだと思う反面、そうではない、という思いもあります。
自衛官の役割とは、命を懸けて国を守ることなのです。戦後日本人は、危機感を失い、国を守るということを忘れてしまっています。歌を忘れたカナリアと同じです。
制服自衛官が、国民の前に現れないのはいいことだとは思いません。酒楽とてそう思います。ですが、いつ、何が起こるかわからない、何が起きてもおかしくはない、と自衛隊の高級幹部は常々部下を諭しています。
自衛官の本分は、戦って国を守ることです。繰り返しになりますが。身の危険を顧みず、国家と国民を守ることが自衛官に与えられた最大の任務であり、使命なのです。
その任務を達成する前に、戦場を去るわけにはいきません。どのような恥辱に塗れようとも、戦場にいなければ、任務を達成することはできないのです。
制服を着て公の場に出ることが、危険を伴い、リスクがあるとするならば、それは避けてしかるべき、と酒楽は思うのです。
颯爽と歩いてみたいと、どんな自衛官でも思うでしょう。しかし、制服自衛官を貶めようと考えている勢力が、現実に世の中に存在し、虎視眈々とそれを狙っているとしたならばどうでしょう?
悲しいことにそれが現実です。自衛官としての使命を全うするため、危険を回避するのもまた自衛官の矜持であろうと酒楽は想います。
自衛官が、晴れて制服を着て、国民の前に現れることを願ってやみませんが、当分自粛せざるを得ないと思います。それが、自衛官と国民のためです。
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