6月10日付朝雲新聞のコラム「春夏秋冬」に前統合幕僚長河野克俊氏が寄稿されていた。
記事は「台湾有事と尖閣」というもので、興味深い内容である。コラムは、紙媒体有料記事なので、全文を紹介することはできないが、重要な部分2か所について、趣旨を紹介したい。
一点目。
米国の対中戦略上の最大のパートナーが地政学的にも、価値観、国力などの観点からも日本であることは自明であり、このことを日本人は自覚する必要がある。日本は本人の意図とは関わりなく大きな歴史の渦の中に飲み込まれつつある。
二点目。
中国と経済的に深い関係にある日本は、米中の仲介を果たすべきとの意見がある。そうであるならば、我が国は尖閣有事の際の日米安保条約第5条適用を米国に求めるべきではない。
慧眼である一点目について言えば、戦後日本は、おとぎの国に住む妖精のようになってしまっているということだ。
黒船来航から昭和20年の敗戦まで、日本と日本人は、歴史を生きてきた。だが、戦後の日本は、地球の歴史とは関係のない、おとぎの国に住み、世の中の厳しい現実を見ないで過ごしてきたのだ。
歴史を直視しないということは、日本という国と日本人がプレイヤーであるとの自覚がないのと同義である。つまり、昭和20年から現在まで、日本は米国の属国だったのだ。
韓国を笑うことはできない。我が国は、自分がプレイヤーであることを忘れ、安全保障を米国に依存し、自ら戦うことを放棄したのだ。憲法9条のとおりだ。河野氏はそれを指摘している。大きな歴史の渦に巻き込まれつつある、という河野氏の指摘は、それでも丁寧な言い回しである。
自分の国が、諸外国にどのような影響を与え、諸外国の動向が我が国の存立にどのような影響を与えているのか、真剣に考えたことがないのだ。それは米国が考えることであり、我が国は、米国に守られているので、安心していられる。これが大方の日本人の考えであろうと想像する。これこそ属国根性というものだ。三島由紀夫が憂いたのはこれだ。日本人は、歴史の舞台から去り、半世紀以上おとぎの国で、太平を貪っていたのだ。
だから、河野氏は歴史の渦に巻き込まれつつある、と表現したのだ。その通りだ。平和ボケした日本人は、ここ数年、中国の軍事的脅威を目の当たりにし、初めて、国の存立について、危惧を抱き始めたのだ。
もはや、おとぎの国に住み続けることは不可能だ。酒楽としては、中国に感謝せねばなるまいと思っている。おとぎの国の妖精は、漸く現実に目覚め、歴史の舞台に戻ってきたのだ。だが、相変わらず、頓珍漢だ。
それは、二点目の指摘に如実に表れている。
米中の仲介をすべきという論は、朝日新聞以下、左翼の常套句だ。だが、この仲介論は、亡国の論理だ。そして、荒唐無稽だ。
まず、米中という世界2大強国の仲介役など存在しない。仲介できる国というのは、同等以上の国力がなければそもそも無理だ。日本は、経済力も軍事力も、米国の足元にも及ばず、中国にも及ばない。そもそも不可能なのだ。
次に、我が国が当事者であること、つまりプレイヤーであることを無視している。プレイヤーが仲介役を買って出ることはないだろう。プレイヤーなのだから。台湾、尖閣有事から我が国は逃れることはできない。いやでも正面から向き合わざるを得ない、プレイヤーなのだ。
日米対中国の図式は出来上がっているのだ。にも拘わらず、仲介役を買って出れば、米国は我が国を疑うだろう。何を考えているのだ?と。一緒に戦おうと言っているのに、敵と仲良くしようだと?狂気の沙汰である。
明治維新から敗戦まで、日本人は、否が応でも歴史と対峙し、戦ってきたのだ。だが、大東亜戦争に敗れた日本人は、日本国憲法を押し付けられ、それを改正もできず、国家の基本理念さえない、ただのヒトになってしまったのだ。戦う勇気もないのだ。
だから、米国大統領が代わったら、何よりも先に、尖閣諸島が日米安保の適用対象であるかを確認し、安堵の胸をなでおろしているのだ。
とても普通の国の考えではない。
「生殺与奪の権を他人に握らせるな」これは「鬼滅の刃」で冨岡義勇が竈門炭治郎に言った言葉だ。これと同じだ。日本人は、生殺与奪の権を米国に預けて恥じることがない。日本は国としてまともではない。
自分の命は自分で守るのと同じで、自分の国は、自分で守るのが当たり前だろう。まるで他人事のように仲介役を買って出たら、それはピエロだ。
何度も言う。台湾有事も尖閣有事も我が国は逃れることができないのだ。我々は、プレイヤーなのだ。逃げることは許されない。日本人はいい加減目覚めるべきだ。半世紀以上も妖精でいた我々は、歴史を忘れ、人間としての本能を忘れ、国家としての本能も忘れてしまっている。
総理大臣が、自衛隊に、「君たち勝てるのか?」と聞くくらいなのだから。勝てるための予算も配分せず、法的裏付けも与えず、勝てるのか?と聞くのは、手足をもがれた者に聞く言葉ではない。
日本を取り巻く安全保障環境を冷静に分析し、我が国の国力の可能性を分析し、最低でも負けないだけの予算を配分するのが政治の役割だ。どこにどのくらいの予算を配分するかは、それこそ安全保障の専門家や戦いを担当する自衛隊に聞けば良い。負けないためには何が必要なのだ?と。
自衛隊に対する総理大臣の質問とはこうでなければならない。一朝事あることを常に予想し、考え、備えを怠ることのないように準備に万全を期すことが政治の役割なのだ。君たち勝てるのかと総理大臣が聞いているのだから、政府は、国の安全保障を他人事と考えている証左だ。
それは当事者の言葉ではない。プレイヤーの言葉でもない。そこに日本の本質的な弱点がある。いまだに歴史の舞台に立っていないのだ。立たなければならないのは自明であるにもかかわらず。
それでも予算には限りがあり、十分な準備ができないことも当然あるだろう。そのために同盟戦略がり、日米同盟があるのだ。
だが酒楽は信じている。日本人を。そして中国も信じている。日本人の恐ろしさを。敵である中国が日本と日本人を信じているのは、皮肉だ。肝腎の日本人が忘れているだけだ。だが、日本人は、いざとなれば、覚醒するだろう。
東日本の災厄においても、支援物品の前に整然と並ぶのが日本人なのだ。東京電力福島原発にヘリコプターで放水するのが日本人なのだ。命の危険も顧みず。中国人民解放軍高官は、この映像を見て、「我が国が日本を核攻撃するぞと脅したら、自衛隊のパイロットは、戦闘機に爆弾を抱えて我が国の核ミサイルに突っ込んでくるだろう」と言ったと伝えられている。
徹底的なリアリストである中国人はよく知っているのだ。日本人を。だから一線を越えるのを中国人は恐れているだろう。日本人が怒ったらどれほど恐ろしいか中国人は経験的に知っているのだ。中国戦線で十倍の敵をも恐れなかった日本人と日本軍を。
忘れているのは、当の日本人だけだ。だが、戦いを前にしたら、日本人は目覚めるだろう。それが、遅きに失しないことを祈るのみだ。
記事は「台湾有事と尖閣」というもので、興味深い内容である。コラムは、紙媒体有料記事なので、全文を紹介することはできないが、重要な部分2か所について、趣旨を紹介したい。
一点目。
米国の対中戦略上の最大のパートナーが地政学的にも、価値観、国力などの観点からも日本であることは自明であり、このことを日本人は自覚する必要がある。日本は本人の意図とは関わりなく大きな歴史の渦の中に飲み込まれつつある。
二点目。
中国と経済的に深い関係にある日本は、米中の仲介を果たすべきとの意見がある。そうであるならば、我が国は尖閣有事の際の日米安保条約第5条適用を米国に求めるべきではない。
慧眼である一点目について言えば、戦後日本は、おとぎの国に住む妖精のようになってしまっているということだ。
黒船来航から昭和20年の敗戦まで、日本と日本人は、歴史を生きてきた。だが、戦後の日本は、地球の歴史とは関係のない、おとぎの国に住み、世の中の厳しい現実を見ないで過ごしてきたのだ。
歴史を直視しないということは、日本という国と日本人がプレイヤーであるとの自覚がないのと同義である。つまり、昭和20年から現在まで、日本は米国の属国だったのだ。
韓国を笑うことはできない。我が国は、自分がプレイヤーであることを忘れ、安全保障を米国に依存し、自ら戦うことを放棄したのだ。憲法9条のとおりだ。河野氏はそれを指摘している。大きな歴史の渦に巻き込まれつつある、という河野氏の指摘は、それでも丁寧な言い回しである。
自分の国が、諸外国にどのような影響を与え、諸外国の動向が我が国の存立にどのような影響を与えているのか、真剣に考えたことがないのだ。それは米国が考えることであり、我が国は、米国に守られているので、安心していられる。これが大方の日本人の考えであろうと想像する。これこそ属国根性というものだ。三島由紀夫が憂いたのはこれだ。日本人は、歴史の舞台から去り、半世紀以上おとぎの国で、太平を貪っていたのだ。
だから、河野氏は歴史の渦に巻き込まれつつある、と表現したのだ。その通りだ。平和ボケした日本人は、ここ数年、中国の軍事的脅威を目の当たりにし、初めて、国の存立について、危惧を抱き始めたのだ。
もはや、おとぎの国に住み続けることは不可能だ。酒楽としては、中国に感謝せねばなるまいと思っている。おとぎの国の妖精は、漸く現実に目覚め、歴史の舞台に戻ってきたのだ。だが、相変わらず、頓珍漢だ。
それは、二点目の指摘に如実に表れている。
米中の仲介をすべきという論は、朝日新聞以下、左翼の常套句だ。だが、この仲介論は、亡国の論理だ。そして、荒唐無稽だ。
まず、米中という世界2大強国の仲介役など存在しない。仲介できる国というのは、同等以上の国力がなければそもそも無理だ。日本は、経済力も軍事力も、米国の足元にも及ばず、中国にも及ばない。そもそも不可能なのだ。
次に、我が国が当事者であること、つまりプレイヤーであることを無視している。プレイヤーが仲介役を買って出ることはないだろう。プレイヤーなのだから。台湾、尖閣有事から我が国は逃れることはできない。いやでも正面から向き合わざるを得ない、プレイヤーなのだ。
日米対中国の図式は出来上がっているのだ。にも拘わらず、仲介役を買って出れば、米国は我が国を疑うだろう。何を考えているのだ?と。一緒に戦おうと言っているのに、敵と仲良くしようだと?狂気の沙汰である。
明治維新から敗戦まで、日本人は、否が応でも歴史と対峙し、戦ってきたのだ。だが、大東亜戦争に敗れた日本人は、日本国憲法を押し付けられ、それを改正もできず、国家の基本理念さえない、ただのヒトになってしまったのだ。戦う勇気もないのだ。
だから、米国大統領が代わったら、何よりも先に、尖閣諸島が日米安保の適用対象であるかを確認し、安堵の胸をなでおろしているのだ。
とても普通の国の考えではない。
「生殺与奪の権を他人に握らせるな」これは「鬼滅の刃」で冨岡義勇が竈門炭治郎に言った言葉だ。これと同じだ。日本人は、生殺与奪の権を米国に預けて恥じることがない。日本は国としてまともではない。
自分の命は自分で守るのと同じで、自分の国は、自分で守るのが当たり前だろう。まるで他人事のように仲介役を買って出たら、それはピエロだ。
何度も言う。台湾有事も尖閣有事も我が国は逃れることができないのだ。我々は、プレイヤーなのだ。逃げることは許されない。日本人はいい加減目覚めるべきだ。半世紀以上も妖精でいた我々は、歴史を忘れ、人間としての本能を忘れ、国家としての本能も忘れてしまっている。
総理大臣が、自衛隊に、「君たち勝てるのか?」と聞くくらいなのだから。勝てるための予算も配分せず、法的裏付けも与えず、勝てるのか?と聞くのは、手足をもがれた者に聞く言葉ではない。
日本を取り巻く安全保障環境を冷静に分析し、我が国の国力の可能性を分析し、最低でも負けないだけの予算を配分するのが政治の役割だ。どこにどのくらいの予算を配分するかは、それこそ安全保障の専門家や戦いを担当する自衛隊に聞けば良い。負けないためには何が必要なのだ?と。
自衛隊に対する総理大臣の質問とはこうでなければならない。一朝事あることを常に予想し、考え、備えを怠ることのないように準備に万全を期すことが政治の役割なのだ。君たち勝てるのかと総理大臣が聞いているのだから、政府は、国の安全保障を他人事と考えている証左だ。
それは当事者の言葉ではない。プレイヤーの言葉でもない。そこに日本の本質的な弱点がある。いまだに歴史の舞台に立っていないのだ。立たなければならないのは自明であるにもかかわらず。
それでも予算には限りがあり、十分な準備ができないことも当然あるだろう。そのために同盟戦略がり、日米同盟があるのだ。
だが酒楽は信じている。日本人を。そして中国も信じている。日本人の恐ろしさを。敵である中国が日本と日本人を信じているのは、皮肉だ。肝腎の日本人が忘れているだけだ。だが、日本人は、いざとなれば、覚醒するだろう。
東日本の災厄においても、支援物品の前に整然と並ぶのが日本人なのだ。東京電力福島原発にヘリコプターで放水するのが日本人なのだ。命の危険も顧みず。中国人民解放軍高官は、この映像を見て、「我が国が日本を核攻撃するぞと脅したら、自衛隊のパイロットは、戦闘機に爆弾を抱えて我が国の核ミサイルに突っ込んでくるだろう」と言ったと伝えられている。
徹底的なリアリストである中国人はよく知っているのだ。日本人を。だから一線を越えるのを中国人は恐れているだろう。日本人が怒ったらどれほど恐ろしいか中国人は経験的に知っているのだ。中国戦線で十倍の敵をも恐れなかった日本人と日本軍を。
忘れているのは、当の日本人だけだ。だが、戦いを前にしたら、日本人は目覚めるだろう。それが、遅きに失しないことを祈るのみだ。
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