最低限の倫理も失っている イスラム思想研究者・飯山陽
2021/6/27 10:00 産経ニュース
https://www.sankei.com/article/20210627-QMOLNF7KJNKLFDOXJOQSC6LQEI/
ガザ空爆「パレスチナ人葬る企み」 元日本赤軍・重信受刑者が主張
毎日新聞 2021/5/30 20:16
https://mainichi.jp/articles/20210530/k00/00m/040/173000c
重信房子の名前をしばらくぶりに見た。6月27日付産経ニュース、新聞に喝!というコラムに、イスラム思想研究者・飯山陽氏が寄稿し、毎日新聞の記事に攻撃を加えている。
それにしても、重信房子は来年出所予定だという。テルアビブ空港で銃を乱射し、民間人数十人を殺害した日本赤軍の首謀者の一人だ。
約20年前、日本国内に潜入していたところをあっけなく逮捕され、刑に服していた。連合赤軍のあさま山荘事件は有名だが、その国外版が、日本赤軍だ。ハイジャック事件その他で国際的テロリスト集団として有名だった。
その重信房子の名前が産経ニュースに出ていたので驚いたのである。そして、飯山氏が喝!を入れたのが毎日新聞の記事だ。
二つ目の引用記事がそれだ。内容は空疎なので、特に論評しない。それにしても、毎日新聞は、何故今頃になって、重信房子の記事を配信したのだ。それに対する批判が飯山氏の論考である。
飯山氏の論考や、毎日新聞の記事事態に、関心を寄せる内容はない。少なくとも酒楽には。だが、日本赤軍が未だに消滅していないとの毎日の記事の末尾には、引っかかるものがある。
重信受刑者は逮捕後の01年に弁護士を通じて日本赤軍の解散を表明したが、警察当局は組織が実質的に存続しているとみて警戒を続けている。
これがその末文である。やはりというべきか、日本赤軍は、生き残っているようだ。日本赤軍の犯罪で一番印象に残っているのは、ダッカ日航機ハイジャック事件である。
●超法規的措置
日本政府はこれ以上の交渉や武力での解決を良しとせず、10月1日に福田赳夫首相が「一人の生命は地球より重い」と述べて、身代金の支払いおよび「超法規的措置」として、収監メンバーなどの引き渡しを行うことを決めた。
(Wikiから引用)
福田赳夫氏とは、先日紹介した福田康夫元総理大臣の父親だ。福田父子は、親子2代にわたって日本国の名誉を汚した。
福田赳夫元総理は、総理大臣としては申し分なかったと思う。自民党内の派閥力学により、2年ほどでその座を大平正芳に譲ったが、続投してもいいくらい有能な総理大臣だったと思う。
だが、ダッカ事件の処理はその経歴に傷をつけた。日本赤軍との取引に応じ、人質救出と引き換えに、犯人グループの逃亡、仲間である犯罪人の釈放を飲んだのだ。
この処置は、世界的に非難を浴び、我が国の国際社会での立場を大きく傷つけたのである。福田(父)元首相を弁護できるとすれば、当時、我が国には、人質を救出できるノウハウも組織もなく、法的裏付けもなかったことだ。
だが、この超法規的処置により、我が国の世論は沸騰し、後に警察庁に特別部隊が編成されるきっかけになったのだ。それだけが救いだ。
何事にも表と裏がある。本来、法治国家である日本で、超法規的措置は認められない。だから、福田(父)元総理は、事件の処理が終わったのち、速やかにその責任を取り、総理を辞任すべきだったのだ。
辞任しないのであれば、検事総長は、検事としての責任を全うするため、福田(父)元総理を逮捕すべきだったのだ。それが、法治国家としての責任の取り方なのだ。辞任しなかった総理大臣、逮捕しなかった検事総長、いずれもその責を全うしていない。
これが文民政治の限界なのだ、と酒楽は思う。歴史を振り返れば、平清盛を嚆矢とした武家政治とは、ある意味武断政治だったのだ。武断政治の特徴は何かといえば、責任を取るということに尽きる。武断政治が完成した江戸時代は、わずかな統治機構で、国内の治安を維持した。その原因は、責任を取る統治体制があったからだ。
民は、統治体制を信頼していたのだ。それは、失敗すれば腹を切るというほどの最高に重い責任の取り方と名誉が裏表になっていたからできたことなのだ。
武断政治は、昭和20年8月15日をもって終焉を迎えた。1192年、鎌倉幕府成立から昭和20年の敗戦まで、750年余りに及ぶ武断政治は終わり、久しぶりの文治に戻ったのが、長い目で見た場合の我が国の統治体制の変化だ。
酒楽は、政治学者でも歴史学者でもないが、このように我が国の歴史を認識している。文治は、民に優しい統治体制である。だが、大日本帝国憲法から日本国憲法に代わり、日本人は骨抜きにされた。
そういう認識がないから、国内に反日勢力が蔓延り、それに対する有効な手を打つことができないのだ。理由は簡単である。統治する側に責任感がないからだ。
野党が官僚苛めをしても助けようともしない自民党。新疆ウィグルのジェノサイドを非難する国会決議を与党自民党幹事長の反対でないものにしてしまった。
政治家に、腹を切るほどの覚悟も責任感もないから、我が国の問題点は解決されないのだ。与党自民党に武人は一人もいないのか?
いや、少なくとも3人いる。自衛官出身者が。だが多勢に無勢。
腹を切れとは言わないが、国のために責任を取るのが、政府と国家議員の務めではないのか?
2021/6/27 10:00 産経ニュース
https://www.sankei.com/article/20210627-QMOLNF7KJNKLFDOXJOQSC6LQEI/
ガザ空爆「パレスチナ人葬る企み」 元日本赤軍・重信受刑者が主張
毎日新聞 2021/5/30 20:16
https://mainichi.jp/articles/20210530/k00/00m/040/173000c
重信房子の名前をしばらくぶりに見た。6月27日付産経ニュース、新聞に喝!というコラムに、イスラム思想研究者・飯山陽氏が寄稿し、毎日新聞の記事に攻撃を加えている。
それにしても、重信房子は来年出所予定だという。テルアビブ空港で銃を乱射し、民間人数十人を殺害した日本赤軍の首謀者の一人だ。
約20年前、日本国内に潜入していたところをあっけなく逮捕され、刑に服していた。連合赤軍のあさま山荘事件は有名だが、その国外版が、日本赤軍だ。ハイジャック事件その他で国際的テロリスト集団として有名だった。
その重信房子の名前が産経ニュースに出ていたので驚いたのである。そして、飯山氏が喝!を入れたのが毎日新聞の記事だ。
二つ目の引用記事がそれだ。内容は空疎なので、特に論評しない。それにしても、毎日新聞は、何故今頃になって、重信房子の記事を配信したのだ。それに対する批判が飯山氏の論考である。
飯山氏の論考や、毎日新聞の記事事態に、関心を寄せる内容はない。少なくとも酒楽には。だが、日本赤軍が未だに消滅していないとの毎日の記事の末尾には、引っかかるものがある。
重信受刑者は逮捕後の01年に弁護士を通じて日本赤軍の解散を表明したが、警察当局は組織が実質的に存続しているとみて警戒を続けている。
これがその末文である。やはりというべきか、日本赤軍は、生き残っているようだ。日本赤軍の犯罪で一番印象に残っているのは、ダッカ日航機ハイジャック事件である。
●超法規的措置
日本政府はこれ以上の交渉や武力での解決を良しとせず、10月1日に福田赳夫首相が「一人の生命は地球より重い」と述べて、身代金の支払いおよび「超法規的措置」として、収監メンバーなどの引き渡しを行うことを決めた。
(Wikiから引用)
福田赳夫氏とは、先日紹介した福田康夫元総理大臣の父親だ。福田父子は、親子2代にわたって日本国の名誉を汚した。
福田赳夫元総理は、総理大臣としては申し分なかったと思う。自民党内の派閥力学により、2年ほどでその座を大平正芳に譲ったが、続投してもいいくらい有能な総理大臣だったと思う。
だが、ダッカ事件の処理はその経歴に傷をつけた。日本赤軍との取引に応じ、人質救出と引き換えに、犯人グループの逃亡、仲間である犯罪人の釈放を飲んだのだ。
この処置は、世界的に非難を浴び、我が国の国際社会での立場を大きく傷つけたのである。福田(父)元首相を弁護できるとすれば、当時、我が国には、人質を救出できるノウハウも組織もなく、法的裏付けもなかったことだ。
だが、この超法規的処置により、我が国の世論は沸騰し、後に警察庁に特別部隊が編成されるきっかけになったのだ。それだけが救いだ。
何事にも表と裏がある。本来、法治国家である日本で、超法規的措置は認められない。だから、福田(父)元総理は、事件の処理が終わったのち、速やかにその責任を取り、総理を辞任すべきだったのだ。
辞任しないのであれば、検事総長は、検事としての責任を全うするため、福田(父)元総理を逮捕すべきだったのだ。それが、法治国家としての責任の取り方なのだ。辞任しなかった総理大臣、逮捕しなかった検事総長、いずれもその責を全うしていない。
これが文民政治の限界なのだ、と酒楽は思う。歴史を振り返れば、平清盛を嚆矢とした武家政治とは、ある意味武断政治だったのだ。武断政治の特徴は何かといえば、責任を取るということに尽きる。武断政治が完成した江戸時代は、わずかな統治機構で、国内の治安を維持した。その原因は、責任を取る統治体制があったからだ。
民は、統治体制を信頼していたのだ。それは、失敗すれば腹を切るというほどの最高に重い責任の取り方と名誉が裏表になっていたからできたことなのだ。
武断政治は、昭和20年8月15日をもって終焉を迎えた。1192年、鎌倉幕府成立から昭和20年の敗戦まで、750年余りに及ぶ武断政治は終わり、久しぶりの文治に戻ったのが、長い目で見た場合の我が国の統治体制の変化だ。
酒楽は、政治学者でも歴史学者でもないが、このように我が国の歴史を認識している。文治は、民に優しい統治体制である。だが、大日本帝国憲法から日本国憲法に代わり、日本人は骨抜きにされた。
そういう認識がないから、国内に反日勢力が蔓延り、それに対する有効な手を打つことができないのだ。理由は簡単である。統治する側に責任感がないからだ。
野党が官僚苛めをしても助けようともしない自民党。新疆ウィグルのジェノサイドを非難する国会決議を与党自民党幹事長の反対でないものにしてしまった。
政治家に、腹を切るほどの覚悟も責任感もないから、我が国の問題点は解決されないのだ。与党自民党に武人は一人もいないのか?
いや、少なくとも3人いる。自衛官出身者が。だが多勢に無勢。
腹を切れとは言わないが、国のために責任を取るのが、政府と国家議員の務めではないのか?
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