内閣告諭
⦿內閣告諭號外
本日畏クモ大詔ヲ拜ス帝國ハ大東亞戰爭ニ從フコト實ニ四年ニ近ク而モ遂ニ 聖慮ヲ以テ非常ノ措置ニ依リ其ノ局ヲ結ブノ他途ナキニ至ル臣子トシテ恐懼謂フベキ所ヲ知ラザルナリ
顧ルニ開戰以降遠ク骨ヲ異域ニ暴セルノ將兵其ノ數ヲ知ラズ本土ノ被害無辜ノ犧牲亦玆ニ極マル思フテ此ニ至レバ痛憤限リナシ然ルニ戰爭ノ目的ヲ實現スルニ由ナク戰勢亦必ズシモ利アラズ遂ニ科學史上未曾有ノ破壞力ヲ有スル新爆彈ノ用ヒラルルニ至リテ戰爭ノ仕法ヲ一變セシメ次イデ「ソ」聯邦ハ去ル九日帝國ニ宣戰ヲ布告シ帝國ハ正ニ未曾有ノ難關ニ逢著シタリ 聖德ノ宏大無邊ナル世界ノ和平ト臣民ノ康寧トヲ冀ハセ給ヒ玆ニ畏クモ大詔ヲ渙發セラル 聖斷旣ニ下ル赤子ノ率由スベキ方途ハ自ラ明カナリ
固ヨリ帝國ノ前途ハ之ニ依リ一層ノ困難ヲ加ヘ更ニ國民ノ忍苦ヲ求ムルニ至ルベシ然レドモ帝國ハ此ノ忍苦ノ結實ニ依リテ國家ノ運命ヲ將來ニ開拓セザルベカラズ本大臣ハ玆ニ萬斛ノ淚ヲ呑ミ敢テ此ノ難キヲ同胞ニ求メムト欲ス
今ヤ國民ノ齊シク嚮フベキ所ハ國體ノ護持ニアリ而シテ苟モ旣往ニ拘泥シテ同胞相猜シ內爭以テ他ノ乗ズル所トナリ或ハ情ニ激シテ輕擧妄動シ信義ヲ世界ニ失フガ如キコトアルベカラズ又特ニ戰死者戰災者ノ遺族及傷痍軍人ノ援護ニ付テハ國民悉ク力ヲ效スベシ
政府ハ國民ト共ニ承詔必謹刻苦奮勵常ニ大御心ニ歸一シ奉リ必ズ國威ヲ恢弘シ父祖ノ遺託ニ應ヘムコトヲ期ス
尙此ノ際特ニ一言スベキハ此ノ難局ニ處スベキ官吏ノ任務ナリ畏クモ至尊ハ爾臣民ノ衷情ハ朕善ク之ヲ知ルト宣ハセ給フ官吏ハ宜シク 陛下ノ有司トシテ此ノ御仁慈ノ 聖旨ヲ奉行シ以テ堅確ナル復興精神喚起ノ先達トナラムコトヲ期スベシ
昭和二十年八月十四日
內閣總理大臣 男爵 鈴木貫太郎

Wikiから引用
この内閣告諭は、昭和20年8月14日付である。翌日、玉音放送と共に国民に示された。
昭和天皇による玉音放送、つまり終戦の詔勅は世に有名であるが、内閣総理大臣鈴木貫太郎による内閣告諭を知っている人は少ないのではないだろうか。
酒楽は、半世紀ほど前に終戦の詔勅を知った。それは、ある日、両親が炬燵に入って、一枚の紙片を卓上に置いていろいろ話しているところから始まった。
そして間に入って、話を聞いていると、「これを読めるか?」と父に聞かれたのである。そして渡されたのは終戦の詔勅だった。中学生だったと思うが、カタカナ混じりの詔勅は、とても読めるものではなかった。それでも父は、中学生にしては読める方だ、と褒めてくれた。
それから30年後くらいに、改めて終戦の詔勅を読む機会があった。その時にいろいろと調べ、鈴木貫太郎の内閣告諭に行き着いた。
詔勅に勝るとも劣らない名文だと思う。聖断を仰いだのは、鈴木貫太郎の努力によるものだ。日本を破滅から救ったのは、鈴木貫太郎だと言っても過言ではないだろう。
日本の歴史が育んだ人材は数多存在するが、その集大成とも言える人物の一人が鈴木貫太郎だと酒楽は思う。
鈴木貫太郎は海軍軍人だった。武士(もののふ)の系譜に連なる者だ。文治二年鎌倉幕府成立から昭和二十年八月十五日、終戦の日まで753年にわたる武断政治は終焉を迎えた。
余談だが、武断政治の始まりが、「文治」という年号だったのは、歴史の皮肉なのだろうか。そして武断政治の終焉は、昭和二十年だ
「昭和」の由来は、四書五経の一つ書経堯典の「百姓昭明、協和萬邦」(百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す)による。(Wikiから引用)
百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す。戦争の終了にぴったりの年号だった。これは八百万の神々の計らいだろうか。
そして武断政治の最後を飾ったのは元海軍軍人 鈴木貫太郎だ。そして鈴木貫太郎は日本を救った。
内閣告諭を読めば、鈴木貫太郎の苦悩が想像できる。彼は最後の「臣」だった。後年、吉田茂は、法案の署名をする際、必ず「臣 茂」と書いたそうだが、彼は既に「臣」ではなかった。
最後の臣にして、武断政治の最後を飾ったのが鈴木貫太郎なのだ。我々日本人は、鈴木貫太郎に感謝すべきだと思う。少なくとも酒楽は、そう思っている。
最後に一言。終戦の日は、敗戦の日とするべきだ。歴史の事実を曲げて解釈してはならない。大日本帝国は昭和20年8月15日、戦いに負けたことを宣言したのであるから、潔く負けを認めるべきだ。だから終戦ではなく、敗戦であるべきだと、酒楽は思う。それが、大和覚醒のための第一歩だ。
岸防衛大臣が靖国神社を参拝されましたね。素晴らしいと思います。さすが、岸家を継いだ人物です。岸さんは、将来の宰相候補でしょう。
⦿內閣告諭號外
本日畏クモ大詔ヲ拜ス帝國ハ大東亞戰爭ニ從フコト實ニ四年ニ近ク而モ遂ニ 聖慮ヲ以テ非常ノ措置ニ依リ其ノ局ヲ結ブノ他途ナキニ至ル臣子トシテ恐懼謂フベキ所ヲ知ラザルナリ
顧ルニ開戰以降遠ク骨ヲ異域ニ暴セルノ將兵其ノ數ヲ知ラズ本土ノ被害無辜ノ犧牲亦玆ニ極マル思フテ此ニ至レバ痛憤限リナシ然ルニ戰爭ノ目的ヲ實現スルニ由ナク戰勢亦必ズシモ利アラズ遂ニ科學史上未曾有ノ破壞力ヲ有スル新爆彈ノ用ヒラルルニ至リテ戰爭ノ仕法ヲ一變セシメ次イデ「ソ」聯邦ハ去ル九日帝國ニ宣戰ヲ布告シ帝國ハ正ニ未曾有ノ難關ニ逢著シタリ 聖德ノ宏大無邊ナル世界ノ和平ト臣民ノ康寧トヲ冀ハセ給ヒ玆ニ畏クモ大詔ヲ渙發セラル 聖斷旣ニ下ル赤子ノ率由スベキ方途ハ自ラ明カナリ
固ヨリ帝國ノ前途ハ之ニ依リ一層ノ困難ヲ加ヘ更ニ國民ノ忍苦ヲ求ムルニ至ルベシ然レドモ帝國ハ此ノ忍苦ノ結實ニ依リテ國家ノ運命ヲ將來ニ開拓セザルベカラズ本大臣ハ玆ニ萬斛ノ淚ヲ呑ミ敢テ此ノ難キヲ同胞ニ求メムト欲ス
今ヤ國民ノ齊シク嚮フベキ所ハ國體ノ護持ニアリ而シテ苟モ旣往ニ拘泥シテ同胞相猜シ內爭以テ他ノ乗ズル所トナリ或ハ情ニ激シテ輕擧妄動シ信義ヲ世界ニ失フガ如キコトアルベカラズ又特ニ戰死者戰災者ノ遺族及傷痍軍人ノ援護ニ付テハ國民悉ク力ヲ效スベシ
政府ハ國民ト共ニ承詔必謹刻苦奮勵常ニ大御心ニ歸一シ奉リ必ズ國威ヲ恢弘シ父祖ノ遺託ニ應ヘムコトヲ期ス
尙此ノ際特ニ一言スベキハ此ノ難局ニ處スベキ官吏ノ任務ナリ畏クモ至尊ハ爾臣民ノ衷情ハ朕善ク之ヲ知ルト宣ハセ給フ官吏ハ宜シク 陛下ノ有司トシテ此ノ御仁慈ノ 聖旨ヲ奉行シ以テ堅確ナル復興精神喚起ノ先達トナラムコトヲ期スベシ
昭和二十年八月十四日
內閣總理大臣 男爵 鈴木貫太郎

Wikiから引用
この内閣告諭は、昭和20年8月14日付である。翌日、玉音放送と共に国民に示された。
昭和天皇による玉音放送、つまり終戦の詔勅は世に有名であるが、内閣総理大臣鈴木貫太郎による内閣告諭を知っている人は少ないのではないだろうか。
酒楽は、半世紀ほど前に終戦の詔勅を知った。それは、ある日、両親が炬燵に入って、一枚の紙片を卓上に置いていろいろ話しているところから始まった。
そして間に入って、話を聞いていると、「これを読めるか?」と父に聞かれたのである。そして渡されたのは終戦の詔勅だった。中学生だったと思うが、カタカナ混じりの詔勅は、とても読めるものではなかった。それでも父は、中学生にしては読める方だ、と褒めてくれた。
それから30年後くらいに、改めて終戦の詔勅を読む機会があった。その時にいろいろと調べ、鈴木貫太郎の内閣告諭に行き着いた。
詔勅に勝るとも劣らない名文だと思う。聖断を仰いだのは、鈴木貫太郎の努力によるものだ。日本を破滅から救ったのは、鈴木貫太郎だと言っても過言ではないだろう。
日本の歴史が育んだ人材は数多存在するが、その集大成とも言える人物の一人が鈴木貫太郎だと酒楽は思う。
鈴木貫太郎は海軍軍人だった。武士(もののふ)の系譜に連なる者だ。文治二年鎌倉幕府成立から昭和二十年八月十五日、終戦の日まで753年にわたる武断政治は終焉を迎えた。
余談だが、武断政治の始まりが、「文治」という年号だったのは、歴史の皮肉なのだろうか。そして武断政治の終焉は、昭和二十年だ
「昭和」の由来は、四書五経の一つ書経堯典の「百姓昭明、協和萬邦」(百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す)による。(Wikiから引用)
百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す。戦争の終了にぴったりの年号だった。これは八百万の神々の計らいだろうか。
そして武断政治の最後を飾ったのは元海軍軍人 鈴木貫太郎だ。そして鈴木貫太郎は日本を救った。
内閣告諭を読めば、鈴木貫太郎の苦悩が想像できる。彼は最後の「臣」だった。後年、吉田茂は、法案の署名をする際、必ず「臣 茂」と書いたそうだが、彼は既に「臣」ではなかった。
最後の臣にして、武断政治の最後を飾ったのが鈴木貫太郎なのだ。我々日本人は、鈴木貫太郎に感謝すべきだと思う。少なくとも酒楽は、そう思っている。
最後に一言。終戦の日は、敗戦の日とするべきだ。歴史の事実を曲げて解釈してはならない。大日本帝国は昭和20年8月15日、戦いに負けたことを宣言したのであるから、潔く負けを認めるべきだ。だから終戦ではなく、敗戦であるべきだと、酒楽は思う。それが、大和覚醒のための第一歩だ。
岸防衛大臣が靖国神社を参拝されましたね。素晴らしいと思います。さすが、岸家を継いだ人物です。岸さんは、将来の宰相候補でしょう。
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