【ケント・ギルバート ニッポンの新常識】アフガンでタリバン復権 アメリカが「国づくり」に成功したのは日本だけ
2021.8.20 ZAKZAK
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/210820/dom2108200004-n1.html
ケント・ギルバート氏の連載、ニッポンの新常識が更新された。酒楽は、毎回、ケント氏のこの連載を楽しみにしている。だが、今回は目を疑うような内容だったので、読者諸兄に紹介したいと思う。
記事のハイライト部分を抜粋引用する。
歴史的にみても、米国は、ベトナムやイラク、韓国などで、ネーション・ビルディングに失敗してきた。唯一成功したのが、日本だろう。
日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である天皇が存在したからこそ、「戦争からの復興」という未来に向かって1つになることができたと思っている。
そして、米国と日本が戦後ともに歩んできたからこそ、世界とアジアの平和と繁栄を守る、強固な日米同盟が構築できたと考えている。
記事全体は、アフガンや他国でアメリカが失敗してきた過去を反省し、最後に、このような認識を披露している。
ああ、やっぱりアメリカは、歴史を知らないのだな、と感じた。ローマの衣鉢を継ぐ、覇権国アメリカの決定的な弱点がこれ、歴史を知らないことだ。
天皇陛下のことを指摘しているのではない。唯一成功したのが日本だろう、という部分だ。
ある国がある国を“作る”ことなどできないのだ。それをアメリカは相変わらず理解していない。
米国は、ベトナムやイラク、韓国などで、ネーション・ビルディングに失敗してきた。
やっぱりアメリカは、ローマの後継国としては不十分だ。日本を作ることに成功した?ふざけるなと言いたい。
アメリカが成功したのは、日本と日本人を腰抜けにしたことだけだ。それは認める。そのため、日本と日本人は、今になっても占領憲法を改正することも出来ず、スパイ防止法を制定することも出来ず、安全保障をアメリカに頼り切り、とても独立国とは言い難い惨状だ。
日本を二度とアメリカに抵抗できないようにするという、アメリカの占領政策は、見事に成功した。そういう意味なら理解する。
だが、ケント氏の記事を読めばそういうことではない。真剣にアメリカは、日本を作ったと思っているのだ。
さて、少々過去にさかのぼることをお許しいただきたい。

大東亜戦争で日本はアメリカに敗北した。昭和16年12月開戦以前の日米両国の外交史を、戦後日本は、何度となく分析し、何故日米開戦を避けられなかったのかを考え続けている。
酒楽の考えはこうだ。昭和16年、ハルノートが突き付けられて以後、開戦は不可避だった。
だが、その何十年も前に、アメリカは対日作戦計画、オレンジ計画を作成しているのである。つまり、日本はずっとアメリカの仮想敵だったのだ。ではいつから?
それは、1905年「桂・ハリマン協定」を日本政府が破棄したことが発端だ。
ハリマンは民間人だが、その背後にアメリカ政府がいることくらい、日本政府が知らないわけがない。だが、アメリカで日露戦争後のポーツマス条約締結を行った小村寿太郎が、帰国後、桂・ハリマン協定に強硬に反対し、これを破棄させてしまったのだ。
これが、後に、1945年12月の大東亜戦争に続く遠因になったのだ。
英国には、永遠の友も永遠の敵もいない。あるのは永遠の国益だけだと言ったのは、英国の首相パーストマンだ。そして、同盟とは、国益の共有に他ならないのだ。
つまり、このとき、日本政府は、戦略判断を誤り、同盟政策に失敗したのだ。小村の言い分も、そのときの国内の意見にも、満州権益は日本のものだという認識が大きかったのだ。だがそれは、国益を共有するものではなく、日本が独占する政策だったのだ。
日露戦争に勝った日本としては、自然の感情だったであろう。だが、日露戦争を勝利に導いたのは、米英の資本だったのだ。彼らが日本に協力して戦費調達を支援したから、日露戦争の勝利があったのだ。
それは、米英も同じ認識だった。だから、ハリマン協定は、日米英の分け前を共有する政策だったのだ。桂首相はそれに乗った。そこまではよかった。
だが帰国した小村は強硬だった。彼は、命を懸けて、国内の批判にさらされながら、日露戦争の戦後処理を行い、日本の国益を護ったのだ。だから、ハリマン協定のような国益を毀損するような政策に反対したのだ。だが、彼は狭量だった。
パーストマンのように、さらに先を読んで、米英と国益を分かち合い、共有すればよかったのだ。そうすれば、三十数年後にハルノートを突き付けられることはなかったのだ。
つまり、ハリマン協定を破棄したことで、日米関係は、破綻に向けて走り始めたのである。FDRは確信犯だったのだ。昭和10年代に入り、アメリカは、日本を待ち伏せしていたのだ。
南部仏印進駐がルビコン川だったのだ。以後、アメリカは、開戦に向けて、日本を追い込み続けたのだ。
結果が、昭和20年、1945年の敗戦である。その後のアメリカの占領政策は、日本をして、二度とアメリカに抵抗しないようにすることだったのだ。
だが、アメリカは、日本を作ったのではない。アメリカの占領政策はアメリカにとって成功だったかもしれないが、その成功体験が、韓国、ベトナム、イラク、アフガニスタンの失敗という認識に繋がっているのだ。
最初から認識が誤っている。アメリカの占領政策が成功したのは、日本がアメリカと同じ価値観を有する民族であり、文化を持っていたからだ。たまたま、日本が国益を共有し損ね、アメリカを敵に回してしまっただけだ。
アメリカに作ってもらう必要などなかったのだ。他の国を作るという傲慢な認識は、これから先もアメリカの国益を毀損し続けるだろう。
2021.8.20 ZAKZAK
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/210820/dom2108200004-n1.html
ケント・ギルバート氏の連載、ニッポンの新常識が更新された。酒楽は、毎回、ケント氏のこの連載を楽しみにしている。だが、今回は目を疑うような内容だったので、読者諸兄に紹介したいと思う。
記事のハイライト部分を抜粋引用する。
歴史的にみても、米国は、ベトナムやイラク、韓国などで、ネーション・ビルディングに失敗してきた。唯一成功したのが、日本だろう。
日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である天皇が存在したからこそ、「戦争からの復興」という未来に向かって1つになることができたと思っている。
そして、米国と日本が戦後ともに歩んできたからこそ、世界とアジアの平和と繁栄を守る、強固な日米同盟が構築できたと考えている。
記事全体は、アフガンや他国でアメリカが失敗してきた過去を反省し、最後に、このような認識を披露している。
ああ、やっぱりアメリカは、歴史を知らないのだな、と感じた。ローマの衣鉢を継ぐ、覇権国アメリカの決定的な弱点がこれ、歴史を知らないことだ。
天皇陛下のことを指摘しているのではない。唯一成功したのが日本だろう、という部分だ。
ある国がある国を“作る”ことなどできないのだ。それをアメリカは相変わらず理解していない。
米国は、ベトナムやイラク、韓国などで、ネーション・ビルディングに失敗してきた。
やっぱりアメリカは、ローマの後継国としては不十分だ。日本を作ることに成功した?ふざけるなと言いたい。
アメリカが成功したのは、日本と日本人を腰抜けにしたことだけだ。それは認める。そのため、日本と日本人は、今になっても占領憲法を改正することも出来ず、スパイ防止法を制定することも出来ず、安全保障をアメリカに頼り切り、とても独立国とは言い難い惨状だ。
日本を二度とアメリカに抵抗できないようにするという、アメリカの占領政策は、見事に成功した。そういう意味なら理解する。
だが、ケント氏の記事を読めばそういうことではない。真剣にアメリカは、日本を作ったと思っているのだ。
さて、少々過去にさかのぼることをお許しいただきたい。

大東亜戦争で日本はアメリカに敗北した。昭和16年12月開戦以前の日米両国の外交史を、戦後日本は、何度となく分析し、何故日米開戦を避けられなかったのかを考え続けている。
酒楽の考えはこうだ。昭和16年、ハルノートが突き付けられて以後、開戦は不可避だった。
だが、その何十年も前に、アメリカは対日作戦計画、オレンジ計画を作成しているのである。つまり、日本はずっとアメリカの仮想敵だったのだ。ではいつから?
それは、1905年「桂・ハリマン協定」を日本政府が破棄したことが発端だ。
ハリマンは民間人だが、その背後にアメリカ政府がいることくらい、日本政府が知らないわけがない。だが、アメリカで日露戦争後のポーツマス条約締結を行った小村寿太郎が、帰国後、桂・ハリマン協定に強硬に反対し、これを破棄させてしまったのだ。
これが、後に、1945年12月の大東亜戦争に続く遠因になったのだ。
英国には、永遠の友も永遠の敵もいない。あるのは永遠の国益だけだと言ったのは、英国の首相パーストマンだ。そして、同盟とは、国益の共有に他ならないのだ。
つまり、このとき、日本政府は、戦略判断を誤り、同盟政策に失敗したのだ。小村の言い分も、そのときの国内の意見にも、満州権益は日本のものだという認識が大きかったのだ。だがそれは、国益を共有するものではなく、日本が独占する政策だったのだ。
日露戦争に勝った日本としては、自然の感情だったであろう。だが、日露戦争を勝利に導いたのは、米英の資本だったのだ。彼らが日本に協力して戦費調達を支援したから、日露戦争の勝利があったのだ。
それは、米英も同じ認識だった。だから、ハリマン協定は、日米英の分け前を共有する政策だったのだ。桂首相はそれに乗った。そこまではよかった。
だが帰国した小村は強硬だった。彼は、命を懸けて、国内の批判にさらされながら、日露戦争の戦後処理を行い、日本の国益を護ったのだ。だから、ハリマン協定のような国益を毀損するような政策に反対したのだ。だが、彼は狭量だった。
パーストマンのように、さらに先を読んで、米英と国益を分かち合い、共有すればよかったのだ。そうすれば、三十数年後にハルノートを突き付けられることはなかったのだ。
つまり、ハリマン協定を破棄したことで、日米関係は、破綻に向けて走り始めたのである。FDRは確信犯だったのだ。昭和10年代に入り、アメリカは、日本を待ち伏せしていたのだ。
南部仏印進駐がルビコン川だったのだ。以後、アメリカは、開戦に向けて、日本を追い込み続けたのだ。
結果が、昭和20年、1945年の敗戦である。その後のアメリカの占領政策は、日本をして、二度とアメリカに抵抗しないようにすることだったのだ。
だが、アメリカは、日本を作ったのではない。アメリカの占領政策はアメリカにとって成功だったかもしれないが、その成功体験が、韓国、ベトナム、イラク、アフガニスタンの失敗という認識に繋がっているのだ。
最初から認識が誤っている。アメリカの占領政策が成功したのは、日本がアメリカと同じ価値観を有する民族であり、文化を持っていたからだ。たまたま、日本が国益を共有し損ね、アメリカを敵に回してしまっただけだ。
アメリカに作ってもらう必要などなかったのだ。他の国を作るという傲慢な認識は、これから先もアメリカの国益を毀損し続けるだろう。
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