自衛官の覚悟と政治家の覚悟
兼原信克
岡部俊哉元陸幕長は、防大を卒業された年が私の外務省入省と同じ同期生である。ある日、いつもの日本酒「金滴」を盃に注ぎながら、「兼原さんは、朝起きたら何を一番に考えますか」とにこやかに聞かれた。
何だろうなとぼんやり考えていると、「私は、毎朝、自分はどこで、どうやって死ぬんだろうと考えます」と静かに言われた。粛然と背筋が伸びる思いがして、思わず杯を置いた。
(元内閣官房副長官補・国家安全保障局次長、同志社大学特別客員教授)
コラム 春夏秋冬/朝雲新聞 令和3年10月7日
朝雲新聞のコラム、「春夏秋冬」10月7日号から、一部を抜粋した。
岡部元陸場長の笑顔は、何とも言えない、人を引き込む笑顔である。あの笑顔のせいで、彼の魅力に取りつかれた人は枚挙に暇がない。かくいう酒楽もそうである。
彼が、にこやかに笑いながら、ぽんと肩を叩いて「おい、頼むぞ」と言われて断れる者はいないのではないだろうか。それほど魅力のある笑顔である。
司馬遼太郎の西郷隆盛評も同じようなものだ。人を引き込む魅力とは、もって生まれたものだろうが、育った環境、社会に出てからの環境の影響も大きいと思う。
防大出身の幹部は、在学中から将来の自衛隊幹部として育成され、カリキュラムの中には、「統率」も含まれている。
だが、統率は、教えられてできるものではない。統率とは、結論を言えば、その人の全人格だからだ。
岡部元陸幕長が、自衛官として最高位の陸将・陸上幕僚長に上りつめたのは、その類まれな人格的魅力の賜物である。
彼こそ現代の侍と呼ぶにふさわしい自衛官だ(既に退官されているので、正確には自衛官だった、が正しい)。春夏秋冬の執筆陣の一人、兼原氏は、その現代の侍と知己であるという幸運に恵まれている。
さて、岡部元陸幕長の「私は、毎朝、自分はどこで、どうやって死ぬんだろうと考えます」という言葉の重みを考えると兼原氏が粛然となって杯を置いたも当然であろう。

ところで岡部元陸幕長の言葉は、彼の専売特許ではない。多かれ少なかれ、自衛官は、いつも死と隣り合わせであり、いつも死を思わずにはいられないものなのだ。
「あの丘を奪取せよ」と命ぜられたら、奪取しなければならないのだ。命を懸けてでも。それが自衛官の宿命である。
いつも死と隣り合わせであるのは、侍であり、武士なのだ。鎌倉幕府成立から、大東戦争の敗北までの間は、侍による治世、つまり武断政治だった。
その間、日本の治安は世界最高水準だった。数少ない治安担当者だけで、江戸八百八町の治安を維持できたのは、統治階級である武士が、任務を達成できなかったら腹を切る覚悟があったからである。
武士は、いつでも腹を切る覚悟で任務にまい進したのである。だから、民は、統治者である侍に服したのだ。
現代における武士とは、すなわち自衛官である。彼らは、いつも死と隣り合わせの日常を送っている。いつなんどき、任務を与えられてもいい覚悟で生きている。彼らこそ、現代に生きる侍なのだ。
つまり岡部元陸幕長の言葉は、全ての自衛官に共通しているのである。そして侍の系譜は、細々とではあるが現代まで続いている。慶賀の至りだ。
最後に、岡部元陸幕長が侍になる原点とも言える経験が以下の通りです。ご一読をお勧めします。
【特別手記】「御巣鷹山」48時間の地獄絵図
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/08120556/?all=1&page=1
リビングで炬燵に入っているのですが、ストーブを点けることもあります。両方だと暑いんですね。
ストーブを消して、しばらくすると「寒い…」ww
点けると「暑い・・・」ww
で、炬燵を消してストーブを点けると、最初はいいんだけど、しばらくすると「暑い…」ww
消すと「寒い…」ww
しばらく、こういう状態が続くのでしょうね。夕方、ウオーキングから帰ったら、にょうぼ殿が、炬燵の中で、ヒルネ・・・ww
休みはこういうところがいいなと思いますww
兼原信克
岡部俊哉元陸幕長は、防大を卒業された年が私の外務省入省と同じ同期生である。ある日、いつもの日本酒「金滴」を盃に注ぎながら、「兼原さんは、朝起きたら何を一番に考えますか」とにこやかに聞かれた。
何だろうなとぼんやり考えていると、「私は、毎朝、自分はどこで、どうやって死ぬんだろうと考えます」と静かに言われた。粛然と背筋が伸びる思いがして、思わず杯を置いた。
(元内閣官房副長官補・国家安全保障局次長、同志社大学特別客員教授)
コラム 春夏秋冬/朝雲新聞 令和3年10月7日
朝雲新聞のコラム、「春夏秋冬」10月7日号から、一部を抜粋した。
岡部元陸場長の笑顔は、何とも言えない、人を引き込む笑顔である。あの笑顔のせいで、彼の魅力に取りつかれた人は枚挙に暇がない。かくいう酒楽もそうである。
彼が、にこやかに笑いながら、ぽんと肩を叩いて「おい、頼むぞ」と言われて断れる者はいないのではないだろうか。それほど魅力のある笑顔である。
司馬遼太郎の西郷隆盛評も同じようなものだ。人を引き込む魅力とは、もって生まれたものだろうが、育った環境、社会に出てからの環境の影響も大きいと思う。
防大出身の幹部は、在学中から将来の自衛隊幹部として育成され、カリキュラムの中には、「統率」も含まれている。
だが、統率は、教えられてできるものではない。統率とは、結論を言えば、その人の全人格だからだ。
岡部元陸幕長が、自衛官として最高位の陸将・陸上幕僚長に上りつめたのは、その類まれな人格的魅力の賜物である。
彼こそ現代の侍と呼ぶにふさわしい自衛官だ(既に退官されているので、正確には自衛官だった、が正しい)。春夏秋冬の執筆陣の一人、兼原氏は、その現代の侍と知己であるという幸運に恵まれている。
さて、岡部元陸幕長の「私は、毎朝、自分はどこで、どうやって死ぬんだろうと考えます」という言葉の重みを考えると兼原氏が粛然となって杯を置いたも当然であろう。

ところで岡部元陸幕長の言葉は、彼の専売特許ではない。多かれ少なかれ、自衛官は、いつも死と隣り合わせであり、いつも死を思わずにはいられないものなのだ。
「あの丘を奪取せよ」と命ぜられたら、奪取しなければならないのだ。命を懸けてでも。それが自衛官の宿命である。
いつも死と隣り合わせであるのは、侍であり、武士なのだ。鎌倉幕府成立から、大東戦争の敗北までの間は、侍による治世、つまり武断政治だった。
その間、日本の治安は世界最高水準だった。数少ない治安担当者だけで、江戸八百八町の治安を維持できたのは、統治階級である武士が、任務を達成できなかったら腹を切る覚悟があったからである。
武士は、いつでも腹を切る覚悟で任務にまい進したのである。だから、民は、統治者である侍に服したのだ。
現代における武士とは、すなわち自衛官である。彼らは、いつも死と隣り合わせの日常を送っている。いつなんどき、任務を与えられてもいい覚悟で生きている。彼らこそ、現代に生きる侍なのだ。
つまり岡部元陸幕長の言葉は、全ての自衛官に共通しているのである。そして侍の系譜は、細々とではあるが現代まで続いている。慶賀の至りだ。
最後に、岡部元陸幕長が侍になる原点とも言える経験が以下の通りです。ご一読をお勧めします。
【特別手記】「御巣鷹山」48時間の地獄絵図
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/08120556/?all=1&page=1
リビングで炬燵に入っているのですが、ストーブを点けることもあります。両方だと暑いんですね。
ストーブを消して、しばらくすると「寒い…」ww
点けると「暑い・・・」ww
で、炬燵を消してストーブを点けると、最初はいいんだけど、しばらくすると「暑い…」ww
消すと「寒い…」ww
しばらく、こういう状態が続くのでしょうね。夕方、ウオーキングから帰ったら、にょうぼ殿が、炬燵の中で、ヒルネ・・・ww
休みはこういうところがいいなと思いますww
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