「いわゆる空母化について」 前統合幕僚長 河野克俊
11月11日付 朝雲新聞 コラム「春夏秋冬」から抜粋
1999年に防防衛調整官だった私は海上幕僚長の訪米に随行した。具体的には「はるな」の後継艦をどうするかということである。防衛部長と私は、海上幕僚長と別れ、海軍作戦本部に向かった。我々としては、航空機運用の観点から「はるな」の後継艦は全通甲板を考えていた。しかし、米海軍の反応はネガティブであった。
理由は「日本が空母のような艦を建造すると中国を刺激する。その結果、アジア太平洋地域で軍拡競争になり、それは米国にとってハッピーではない」であった。
これには参ったが、以後、紆余曲折を経て「はるな」の後継艦として全通甲板の「ひゅうが」が建造された。そして今はより大型の「いずも」と「かが」では米海軍の全面協力を得て「空母化」が進められている。
しかし、ここに至るまでにはこのような歴史があったのである。
先日、米海兵隊のF35Bが、いわゆる「空母化」を進める海自護衛艦「いずも」の飛行甲板に着艦した、という文章から始まる、前統幕長河野克俊氏のコラムから引用した。
陸自と異なり、海自は米海軍との繋がりが強固である。(陸自と米陸軍のつながりが希薄だという訳ではなく、比較すれば、ということです。)平素の訓練、オペレーションについて、緊密に連携し、西太平洋におけるプレゼンスを維持している。
だから、「このような歴史」があっても驚かない。だが、酒楽的には、いくつか驚いたことがある。
一つは、海自が当初から全通甲板と将来の空母化を構想していたことである。二つ目は、当初、米海軍が海自護衛艦の空母化に難色を示していたこと。三つめはその理由が、中国を刺激して軍拡競争になることが米国の国益ではない、と発言していることだ。
海自が全通甲板の護衛艦を建造することが発表されたとき、将来、空母に改造するのではないかと酒楽は思った。そして、米国はそれを許したのか?とも思った。
日本は独立国ではあるが、軍事的に独立しているわけではない。非核三原則は、政府・自民党の看板政策ではあるが、そもそも米国は、我が国の核兵器保有を許さないだろう。
同じ文脈で、海自が空母を保有することも許されていなかったのは、公然の秘密だったと思う。引用したコラムには、米国の本音が赤裸々に語られている。
現在、米国が暗に日本の防衛努力を促していることを思うと、時代の流れを感じるのは酒楽だけではあるまい。
海自首脳部は戦ったのだ。最初から空母化を諦めていれば、いずも、かがの空母化は数年から十年程度遅れていたはずである。そうなると、西太平洋における日米と中国の軍事バランスに少なくない悪影響を及ぼした筈だ。海自首脳部に賛辞を贈りたい。
それにしても、1990年代の米国は、まだまだ中国を脅威とはみなしていなかったにも関わらず、軍拡競争をハッピーではない、と思っていたのには驚いた。1990年代は、湾岸戦争後、ソ連が崩壊し、米国一強の時代である。
軍拡競争というのは、言い訳だったのではないだろうか。それが酒楽の推測だ。当時、軍事的にはちっぽけだった中国は、米国の脅威ではなかった。海上自衛隊が空母を持つことを歓迎しなかったということだろう。中国を引き合いに出して、婉曲に空母保有を否定したのではないかと酒楽は思う。
それから20年以上が経過した現在、同盟は深化し、米国は海自護衛艦の空母化を支援している。米政府は、暗に日本政府に防衛努力を促している。
昔日の感があるではないか。同盟は一日にしてならず。だが、国益を共有できなければ、同盟は即座に崩壊する。政府には、日米同盟の歴史をよく認識してもらいたいと思う。
日が短くなりましたね。朝はまだそれほど暗くないですが、帰宅すると真っ暗です。会社の近辺も街路樹が紅葉していてなかなかきれいです。
北海道に勤務していたときの紅葉は言語に絶する美しさでした。酒楽のふるさとも美しい紅葉でしたが、北海道の紅葉は、けた違いの美しさでした。
寒い地方ほど、秋になって急激に温度が下がるので、美しい紅葉になるんですね。北海道ではそこいらじゅうが絶景なのですよ。もし、本当に美しい紅葉を見たければ、是非北海道の紅葉を見ていただきたいなと思います。
紅葉の後は、マイナス30度の世界です。。゚(゚´Д`゚)゚。
仕事を終えて帰ると、部屋の中の温度がマイナス10度、とか普通でした。ストーブを全開にするのですが、なかなか部屋全体が温まりません。ストーブに当たっている正面は「熱い」、背中は「寒い」、そこで向きを変えると、背中が「熱い」、正面は「寒い」となるわけです。10分もすると、ようやく暖かくなります。
訓練で何日間も留守して帰宅すると、部屋の中が、”冷凍庫”になっています。マイナス15度くらいの時もありました。冷蔵庫の中は比較して「暖かい」ので、凍らせたくない食材は、冷蔵庫に入れておかないといけません。
でもですね、マイナス30度の中で訓練するよりは、木造でも官舎の方がいいのですよ♪
「幹部はいずれ北海道で勤務することになるのだから、行くなら早い方がいいぞ」と言う区隊長の言葉にまんまと騙されて北海道で勤務することになった酒楽です。でもですね、最果てでの勤務は、何物にも代えがたい貴重な経験でした。この続きはまた後で。
11月11日付 朝雲新聞 コラム「春夏秋冬」から抜粋
1999年に防防衛調整官だった私は海上幕僚長の訪米に随行した。具体的には「はるな」の後継艦をどうするかということである。防衛部長と私は、海上幕僚長と別れ、海軍作戦本部に向かった。我々としては、航空機運用の観点から「はるな」の後継艦は全通甲板を考えていた。しかし、米海軍の反応はネガティブであった。
理由は「日本が空母のような艦を建造すると中国を刺激する。その結果、アジア太平洋地域で軍拡競争になり、それは米国にとってハッピーではない」であった。
これには参ったが、以後、紆余曲折を経て「はるな」の後継艦として全通甲板の「ひゅうが」が建造された。そして今はより大型の「いずも」と「かが」では米海軍の全面協力を得て「空母化」が進められている。
しかし、ここに至るまでにはこのような歴史があったのである。
先日、米海兵隊のF35Bが、いわゆる「空母化」を進める海自護衛艦「いずも」の飛行甲板に着艦した、という文章から始まる、前統幕長河野克俊氏のコラムから引用した。
陸自と異なり、海自は米海軍との繋がりが強固である。(陸自と米陸軍のつながりが希薄だという訳ではなく、比較すれば、ということです。)平素の訓練、オペレーションについて、緊密に連携し、西太平洋におけるプレゼンスを維持している。
だから、「このような歴史」があっても驚かない。だが、酒楽的には、いくつか驚いたことがある。
一つは、海自が当初から全通甲板と将来の空母化を構想していたことである。二つ目は、当初、米海軍が海自護衛艦の空母化に難色を示していたこと。三つめはその理由が、中国を刺激して軍拡競争になることが米国の国益ではない、と発言していることだ。
海自が全通甲板の護衛艦を建造することが発表されたとき、将来、空母に改造するのではないかと酒楽は思った。そして、米国はそれを許したのか?とも思った。
日本は独立国ではあるが、軍事的に独立しているわけではない。非核三原則は、政府・自民党の看板政策ではあるが、そもそも米国は、我が国の核兵器保有を許さないだろう。
同じ文脈で、海自が空母を保有することも許されていなかったのは、公然の秘密だったと思う。引用したコラムには、米国の本音が赤裸々に語られている。
現在、米国が暗に日本の防衛努力を促していることを思うと、時代の流れを感じるのは酒楽だけではあるまい。
海自首脳部は戦ったのだ。最初から空母化を諦めていれば、いずも、かがの空母化は数年から十年程度遅れていたはずである。そうなると、西太平洋における日米と中国の軍事バランスに少なくない悪影響を及ぼした筈だ。海自首脳部に賛辞を贈りたい。
それにしても、1990年代の米国は、まだまだ中国を脅威とはみなしていなかったにも関わらず、軍拡競争をハッピーではない、と思っていたのには驚いた。1990年代は、湾岸戦争後、ソ連が崩壊し、米国一強の時代である。
軍拡競争というのは、言い訳だったのではないだろうか。それが酒楽の推測だ。当時、軍事的にはちっぽけだった中国は、米国の脅威ではなかった。海上自衛隊が空母を持つことを歓迎しなかったということだろう。中国を引き合いに出して、婉曲に空母保有を否定したのではないかと酒楽は思う。
それから20年以上が経過した現在、同盟は深化し、米国は海自護衛艦の空母化を支援している。米政府は、暗に日本政府に防衛努力を促している。
昔日の感があるではないか。同盟は一日にしてならず。だが、国益を共有できなければ、同盟は即座に崩壊する。政府には、日米同盟の歴史をよく認識してもらいたいと思う。
日が短くなりましたね。朝はまだそれほど暗くないですが、帰宅すると真っ暗です。会社の近辺も街路樹が紅葉していてなかなかきれいです。
北海道に勤務していたときの紅葉は言語に絶する美しさでした。酒楽のふるさとも美しい紅葉でしたが、北海道の紅葉は、けた違いの美しさでした。
寒い地方ほど、秋になって急激に温度が下がるので、美しい紅葉になるんですね。北海道ではそこいらじゅうが絶景なのですよ。もし、本当に美しい紅葉を見たければ、是非北海道の紅葉を見ていただきたいなと思います。
紅葉の後は、マイナス30度の世界です。。゚(゚´Д`゚)゚。
仕事を終えて帰ると、部屋の中の温度がマイナス10度、とか普通でした。ストーブを全開にするのですが、なかなか部屋全体が温まりません。ストーブに当たっている正面は「熱い」、背中は「寒い」、そこで向きを変えると、背中が「熱い」、正面は「寒い」となるわけです。10分もすると、ようやく暖かくなります。
訓練で何日間も留守して帰宅すると、部屋の中が、”冷凍庫”になっています。マイナス15度くらいの時もありました。冷蔵庫の中は比較して「暖かい」ので、凍らせたくない食材は、冷蔵庫に入れておかないといけません。
でもですね、マイナス30度の中で訓練するよりは、木造でも官舎の方がいいのですよ♪
「幹部はいずれ北海道で勤務することになるのだから、行くなら早い方がいいぞ」と言う区隊長の言葉にまんまと騙されて北海道で勤務することになった酒楽です。でもですね、最果てでの勤務は、何物にも代えがたい貴重な経験でした。この続きはまた後で。
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