権力は腐敗するという常識・・・「日本には当てはまらないらしい」=中国
2022年1月11日 8時12分 サーチナ
https://news.livedoor.com/article/detail/21488912/
日本 権力構造の謎 1994年 著者:カレル・ヴァン ウォルフレン
https://allreviews.jp/review/989
権力は腐敗するという常識は日本には当てはまらないらしい、という興味深い記事がサーチナに掲載されました。
酒楽の主張は、日本に権力は存在しないというものです。もちろん、酒楽の独断と偏見です。その主張の裏付けとなったのは、「日本 権力構造の謎」という米国人の著書にあります。
引用したURLでは、橋爪 大三郎氏が書評を開陳しています。参考にしていただければ幸いです。
ですが、酒楽の主張は、少々異なります。アクトン卿が述べた「絶対的権力は絶対に腐敗する」という意味での権力は日本には存在しないからです。
西洋の歴史を紐解けば、権力者から権力を剥奪し、民衆が自由を得る、というのが定番の歴史解釈です。西洋の歴史に権力者は数多存在します。もちろん、西洋に限らず、アジアでも同じです。支那は、過去から現在に至るまで、権力者の歴史そのものであり、それは現在進行形です。
ですが、日本の歴史に絶対権力者は存在しません。天皇家は、草創期は権力を握っていたのでしょうが、それでも絶対権力ではありませんでした。古事記や日本書紀を読めばそれは明らかです。
天皇家が権力を失って以後、摂関政治、幕府による封建制、大日本帝国~戦後日本国憲法下の現在に連なっていますが、いずれも絶対権力というものは、我が国の歴史には存在しません。
象徴的な例を挙げれば、江戸時代、藩主と雖も権力の濫用は許されていません。藩主が不適格だと家老以下が判断すれば、「押し込め」られたのです。それは合法的でした。何故なら、押し込めを幕府が認めたからです。
これは、象徴的な例ですが、我が国の歴史において、西洋的な、あるいは支那のような絶対権力というものは一度として存在しなかったのです。

権力が存在しなければ、腐敗するはずがありません。これが酒楽の主張です。
ですが、権力が存在しないということは、船頭がいないことと同じことですね。我が国のバブル崩壊後の迷走の主因はそこにあると酒楽は思います。
現状、岸田政権を見ていると、とても一国の舵を握る船頭には見えません。安倍政権でさえそうです。憲法を改正できないのも広義に解釈すれば、権力不在が原因と言ってもいいでしょう。
幕末に幕府政治が右往左往し、行き先を明示できなかったことと同じです。その政治学的解釈は、酒楽には無理ですので、参考になりそうな著書を紹介したわけです。
ただ「日本 権力構造の謎」は、なかなか面白い本ですが、日本の歴史を知らない欧米の解釈にならざるを得ないので、酒楽的には、消化不良を起こしている解釈だなと思いました。
日本の良いところも悪いところも、結論は、権力不在、なのだと酒楽は思っているわけです。つまり、誰も責任を取らない、のが日本という国であり、日本人の特性なのです。
この主張は暴論です。社会学者も歴史学者も政治学者もそのような主張はされていないと思いますが、事実はそうだと言わざるを得ません。
だから、諸外国が日本を見て、腐敗していない、というのは、イコール権力不在、ということなのです。ですが、権力不在の国家など彼らには考えられないと思います。それは不思議な存在であり、本来権力の存在しない国家など彼らには、想定すらされないでしょう。国家あるところに必ず権力は存在するのです。政治学的にはこれが正解です。唯一の例外が、ニッポンです。
それは国家とは言えないでしょう。仮に本当だとしても。実際に存在していたとしても。
その想像もできない不思議な国が我がニッポンなのです。さて存在してはならない権力不在の国家日本は、21世紀を生き抜いていけるのでしょうか?
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91299?page=2
高橋洋一氏が面白いことを言っていましたね。岸田が後ろから鉄砲を撃っている、と。これでは官僚はやる気が起きません。自らの責任を回避し、官僚に責任を押し付けるということですね。上司として絶対にやってはいけないことです。これでは部下はついてきません。面従腹背になるだけです。
中央省庁官僚の士気はダダ下がりでしょう。やってられないと思いますよ。お気の毒ととしか言いようがありません。官僚がやる気を失えば、政府の機能は低下します。これでは、言われたことしかしないでしょう。そして、上司の命令の証拠を残すことに全力を集中するはずです。証拠のない口頭命令には従わないでしょう。
総理や所掌大臣の文書命令は絶対です。官僚に責任を押し付けようとすれば官僚は証拠を開示して抵抗するでしょう。人間ですから当然です。自らの身は自ら守るしかないからです。この状況が続けば、岸田政権は立ち往生するかもしれません。責任を取らないものの運命ですww
2022年1月11日 8時12分 サーチナ
https://news.livedoor.com/article/detail/21488912/
日本 権力構造の謎 1994年 著者:カレル・ヴァン ウォルフレン
https://allreviews.jp/review/989
権力は腐敗するという常識は日本には当てはまらないらしい、という興味深い記事がサーチナに掲載されました。
酒楽の主張は、日本に権力は存在しないというものです。もちろん、酒楽の独断と偏見です。その主張の裏付けとなったのは、「日本 権力構造の謎」という米国人の著書にあります。
引用したURLでは、橋爪 大三郎氏が書評を開陳しています。参考にしていただければ幸いです。
ですが、酒楽の主張は、少々異なります。アクトン卿が述べた「絶対的権力は絶対に腐敗する」という意味での権力は日本には存在しないからです。
西洋の歴史を紐解けば、権力者から権力を剥奪し、民衆が自由を得る、というのが定番の歴史解釈です。西洋の歴史に権力者は数多存在します。もちろん、西洋に限らず、アジアでも同じです。支那は、過去から現在に至るまで、権力者の歴史そのものであり、それは現在進行形です。
ですが、日本の歴史に絶対権力者は存在しません。天皇家は、草創期は権力を握っていたのでしょうが、それでも絶対権力ではありませんでした。古事記や日本書紀を読めばそれは明らかです。
天皇家が権力を失って以後、摂関政治、幕府による封建制、大日本帝国~戦後日本国憲法下の現在に連なっていますが、いずれも絶対権力というものは、我が国の歴史には存在しません。
象徴的な例を挙げれば、江戸時代、藩主と雖も権力の濫用は許されていません。藩主が不適格だと家老以下が判断すれば、「押し込め」られたのです。それは合法的でした。何故なら、押し込めを幕府が認めたからです。
これは、象徴的な例ですが、我が国の歴史において、西洋的な、あるいは支那のような絶対権力というものは一度として存在しなかったのです。

権力が存在しなければ、腐敗するはずがありません。これが酒楽の主張です。
ですが、権力が存在しないということは、船頭がいないことと同じことですね。我が国のバブル崩壊後の迷走の主因はそこにあると酒楽は思います。
現状、岸田政権を見ていると、とても一国の舵を握る船頭には見えません。安倍政権でさえそうです。憲法を改正できないのも広義に解釈すれば、権力不在が原因と言ってもいいでしょう。
幕末に幕府政治が右往左往し、行き先を明示できなかったことと同じです。その政治学的解釈は、酒楽には無理ですので、参考になりそうな著書を紹介したわけです。
ただ「日本 権力構造の謎」は、なかなか面白い本ですが、日本の歴史を知らない欧米の解釈にならざるを得ないので、酒楽的には、消化不良を起こしている解釈だなと思いました。
日本の良いところも悪いところも、結論は、権力不在、なのだと酒楽は思っているわけです。つまり、誰も責任を取らない、のが日本という国であり、日本人の特性なのです。
この主張は暴論です。社会学者も歴史学者も政治学者もそのような主張はされていないと思いますが、事実はそうだと言わざるを得ません。
だから、諸外国が日本を見て、腐敗していない、というのは、イコール権力不在、ということなのです。ですが、権力不在の国家など彼らには考えられないと思います。それは不思議な存在であり、本来権力の存在しない国家など彼らには、想定すらされないでしょう。国家あるところに必ず権力は存在するのです。政治学的にはこれが正解です。唯一の例外が、ニッポンです。
それは国家とは言えないでしょう。仮に本当だとしても。実際に存在していたとしても。
その想像もできない不思議な国が我がニッポンなのです。さて存在してはならない権力不在の国家日本は、21世紀を生き抜いていけるのでしょうか?
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91299?page=2
高橋洋一氏が面白いことを言っていましたね。岸田が後ろから鉄砲を撃っている、と。これでは官僚はやる気が起きません。自らの責任を回避し、官僚に責任を押し付けるということですね。上司として絶対にやってはいけないことです。これでは部下はついてきません。面従腹背になるだけです。
中央省庁官僚の士気はダダ下がりでしょう。やってられないと思いますよ。お気の毒ととしか言いようがありません。官僚がやる気を失えば、政府の機能は低下します。これでは、言われたことしかしないでしょう。そして、上司の命令の証拠を残すことに全力を集中するはずです。証拠のない口頭命令には従わないでしょう。
総理や所掌大臣の文書命令は絶対です。官僚に責任を押し付けようとすれば官僚は証拠を開示して抵抗するでしょう。人間ですから当然です。自らの身は自ら守るしかないからです。この状況が続けば、岸田政権は立ち往生するかもしれません。責任を取らないものの運命ですww
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