明治維新後の日本、清とロシアを相手に「連戦連勝」が可能だった理由=中国
2022年1月14日 7時12分 サーチナ
https://news.livedoor.com/article/detail/21505880/
日本は「脱亜入欧に成功」したのか
2021年08月22日 08:45 歴史 酒楽独語
https://shurakudokugo.com/blog-entry-582.html
明治維新後の日本が清とロシアを相手に「連戦連勝」が可能だった理由という興味深い記事がサーチナに掲載されていたので引用しました。そして、それに対する答えを引用しました。拙稿、酒楽独語から昨年8月22日の記事です。
と、ここまで書いて、それでは何も書くことがないではないかということに気が付きました。
まあ、昨年の記事は、日本文明の特質について酒楽の考えを主張したのですが、これだけでは、答えとしては不足しています。
日清日露とありますが、日清戦争は、老大国清を相手にした戦争であり、軍事史的には、日露戦争の前哨戦的な位置づけでいいのではないかと思います。そこに何か特筆すべきものはないと。支那には申し訳ないけど。勝つべくして勝ったと。
清は、ヌルハチ以来、軍事技術的には古代のままでした。近代軍ではありません。さらに、海軍は軍事技術の塊であり、海軍の伝統のない支那には、戦う術さえなかったというのが事実です。
当時の世界最高水準の巨大戦艦を有していましたが、志那人にそれを活かす術が無かったということです。
日露戦争に勝利した理由は、ロシアとの戦争を予期して、明治維新以来、国家の総力を挙げて陸海軍を育ててきたということ、国家が一丸となって、武器艦船を造成し、それを扱う将兵を育て、軍を育成したということですね。
そして、海軍には山本権兵衛、陸軍には児玉源太郎という軍政及び陸戦戦術の天才がいたということです。

https://www.cocoyoko.net/spot/mikasa.html
cocoyoko(ココハヨコスカ横須賀集客促進・魅力発信実行委員会)から引用
ただし、山本と児玉がいたから勝利したというほど単純ではありません。明治維新から三十数年にわたって、陸軍海軍を育成した日本政府と日本人の努力の結果だということです。
極東の小国家日本が、大国ロシア帝国に勝利するには、国家の総力を挙げて準備することが必要だったのです。
そのためには、殖産興業、富国強兵、教育の充実などが必要でした。このあたりが支那と大和の違いでしょうか。軍備増強、つまり兵器や艦船の造成に重きを置く支那との違いです。
日清戦争で、日本が勝ったのは、近代陸海軍を育てた日本と、箱モノだけを揃えた支那との違いです。近代軍は、一朝一夕にできるものではないのです。
そして、その基礎になったのは、鎌倉時代以来の日本の武士であり、江戸時代に普及した庶民教育です。明治維新時、識字率はほぼ100%だったのです。対して支那の庶民は、ほとんど文盲でした。これでは近代軍の兵士としては適格ではありません。
指揮官、参謀が優秀なだけでは戦争には勝てないのです。国家の中央から最前線の一兵士迄統一した指揮命令を行うには、気の遠くなるような関係者の努力が必要なのです。当時の支那には、それができる基盤が無かったと言うべきでしょう。
ロシアは違います。ロシアは近代軍でした。しかし大陸国家であるロシアは、伝統的に海軍の育成には不向きです。日本海海戦が帝国海軍の勝利に終わったのは、ある意味必然だったと認識するべきです。
陸戦は異なります。帝国陸軍は奉天会戦で辛うじてロシア軍に勝利したことになっていますが、それは勝利したというよりもロシア陸軍を率いていたクロパトキン将軍がロシア伝統の退却戦術を採用したことを、ロシア帝国政府が批判したことが影響していると考えた方がいいでしょう。そして、大山司令官も児玉総参謀長もロシア軍を深追いせず(追撃できなかったというのが正しいです)、戦争の早期終結に向けて活動したことが日露の講和に繋がったと解釈すべきです。
陸戦は、負けていないというだけで、決して勝利したと言える状況ではないと酒楽は思います。簡単に言うとこういうことになるのでしょう。でも、サーチナの記事は、まったく日本を理解していませんね。珍しく突っ込み不足ですww自衛隊は、大和の伝統を脈々と受け継いでいます。心配ご無用です♪
三笠公園は、なかなかいいですね。何度か行っていますが、いついっても静かで、立派な三笠を見ることができます。三笠の中を観覧すると、古の帝国海軍軍人が命を懸けて戦ったことがよくわかります。
坂の上の雲には、いろいろと問題がありますが、現実の三笠は、圧倒的な迫力で現代人も魅了していますね。皆様も機会がありましたら、是非三笠公園で戦艦三笠をご覧になられることをお勧めします。
ついでながら、もう少し足を延ばせば、先日紹介した走水神社があります。
上総国へ船出した日本武尊は、海上で暴風雨に遭い、弟橘媛が海へ身を投じて暴風雨を鎮めた。数日後、海岸に弟橘媛の櫛が流れつき、村人は旗山崎(御所ヶ崎)に社を建てて櫛を納めたとされる。この社が弟橘媛を祀る橘神社であったが、明治18年(1885年)に旗山崎が軍用地になり走水神社境内へ移され、その後明治42年(1909年)に合祀された。(Wiki)
そしてもう少し足を延ばすと、観音崎公園があるのです。頂上には戦没船員の碑があって、眺望がとてもいいです。一日横須賀界隈を散策するのは、なかなかいいと思います。
酒楽もまだ行ったことが無いのですが、さらに足を延ばすと浦賀に出ます。そして浦賀港を挟んで、叶神社と東叶神社があります。この間は海ですので、徒歩では厳しいですが、うまいことに「浦賀の渡し」という小舟が運航しています。なかなか風情があっていいですよwwご紹介まで。
2022年1月14日 7時12分 サーチナ
https://news.livedoor.com/article/detail/21505880/
日本は「脱亜入欧に成功」したのか
2021年08月22日 08:45 歴史 酒楽独語
https://shurakudokugo.com/blog-entry-582.html
明治維新後の日本が清とロシアを相手に「連戦連勝」が可能だった理由という興味深い記事がサーチナに掲載されていたので引用しました。そして、それに対する答えを引用しました。拙稿、酒楽独語から昨年8月22日の記事です。
と、ここまで書いて、それでは何も書くことがないではないかということに気が付きました。
まあ、昨年の記事は、日本文明の特質について酒楽の考えを主張したのですが、これだけでは、答えとしては不足しています。
日清日露とありますが、日清戦争は、老大国清を相手にした戦争であり、軍事史的には、日露戦争の前哨戦的な位置づけでいいのではないかと思います。そこに何か特筆すべきものはないと。支那には申し訳ないけど。勝つべくして勝ったと。
清は、ヌルハチ以来、軍事技術的には古代のままでした。近代軍ではありません。さらに、海軍は軍事技術の塊であり、海軍の伝統のない支那には、戦う術さえなかったというのが事実です。
当時の世界最高水準の巨大戦艦を有していましたが、志那人にそれを活かす術が無かったということです。
日露戦争に勝利した理由は、ロシアとの戦争を予期して、明治維新以来、国家の総力を挙げて陸海軍を育ててきたということ、国家が一丸となって、武器艦船を造成し、それを扱う将兵を育て、軍を育成したということですね。
そして、海軍には山本権兵衛、陸軍には児玉源太郎という軍政及び陸戦戦術の天才がいたということです。

https://www.cocoyoko.net/spot/mikasa.html
cocoyoko(ココハヨコスカ横須賀集客促進・魅力発信実行委員会)から引用
ただし、山本と児玉がいたから勝利したというほど単純ではありません。明治維新から三十数年にわたって、陸軍海軍を育成した日本政府と日本人の努力の結果だということです。
極東の小国家日本が、大国ロシア帝国に勝利するには、国家の総力を挙げて準備することが必要だったのです。
そのためには、殖産興業、富国強兵、教育の充実などが必要でした。このあたりが支那と大和の違いでしょうか。軍備増強、つまり兵器や艦船の造成に重きを置く支那との違いです。
日清戦争で、日本が勝ったのは、近代陸海軍を育てた日本と、箱モノだけを揃えた支那との違いです。近代軍は、一朝一夕にできるものではないのです。
そして、その基礎になったのは、鎌倉時代以来の日本の武士であり、江戸時代に普及した庶民教育です。明治維新時、識字率はほぼ100%だったのです。対して支那の庶民は、ほとんど文盲でした。これでは近代軍の兵士としては適格ではありません。
指揮官、参謀が優秀なだけでは戦争には勝てないのです。国家の中央から最前線の一兵士迄統一した指揮命令を行うには、気の遠くなるような関係者の努力が必要なのです。当時の支那には、それができる基盤が無かったと言うべきでしょう。
ロシアは違います。ロシアは近代軍でした。しかし大陸国家であるロシアは、伝統的に海軍の育成には不向きです。日本海海戦が帝国海軍の勝利に終わったのは、ある意味必然だったと認識するべきです。
陸戦は異なります。帝国陸軍は奉天会戦で辛うじてロシア軍に勝利したことになっていますが、それは勝利したというよりもロシア陸軍を率いていたクロパトキン将軍がロシア伝統の退却戦術を採用したことを、ロシア帝国政府が批判したことが影響していると考えた方がいいでしょう。そして、大山司令官も児玉総参謀長もロシア軍を深追いせず(追撃できなかったというのが正しいです)、戦争の早期終結に向けて活動したことが日露の講和に繋がったと解釈すべきです。
陸戦は、負けていないというだけで、決して勝利したと言える状況ではないと酒楽は思います。簡単に言うとこういうことになるのでしょう。でも、サーチナの記事は、まったく日本を理解していませんね。珍しく突っ込み不足ですww自衛隊は、大和の伝統を脈々と受け継いでいます。心配ご無用です♪
三笠公園は、なかなかいいですね。何度か行っていますが、いついっても静かで、立派な三笠を見ることができます。三笠の中を観覧すると、古の帝国海軍軍人が命を懸けて戦ったことがよくわかります。
坂の上の雲には、いろいろと問題がありますが、現実の三笠は、圧倒的な迫力で現代人も魅了していますね。皆様も機会がありましたら、是非三笠公園で戦艦三笠をご覧になられることをお勧めします。
ついでながら、もう少し足を延ばせば、先日紹介した走水神社があります。
上総国へ船出した日本武尊は、海上で暴風雨に遭い、弟橘媛が海へ身を投じて暴風雨を鎮めた。数日後、海岸に弟橘媛の櫛が流れつき、村人は旗山崎(御所ヶ崎)に社を建てて櫛を納めたとされる。この社が弟橘媛を祀る橘神社であったが、明治18年(1885年)に旗山崎が軍用地になり走水神社境内へ移され、その後明治42年(1909年)に合祀された。(Wiki)
そしてもう少し足を延ばすと、観音崎公園があるのです。頂上には戦没船員の碑があって、眺望がとてもいいです。一日横須賀界隈を散策するのは、なかなかいいと思います。
酒楽もまだ行ったことが無いのですが、さらに足を延ばすと浦賀に出ます。そして浦賀港を挟んで、叶神社と東叶神社があります。この間は海ですので、徒歩では厳しいですが、うまいことに「浦賀の渡し」という小舟が運航しています。なかなか風情があっていいですよwwご紹介まで。
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