4月13日付拙稿「専守防衛から戦略守勢に転換すべし」において、産経ニュース「正論」から、織田邦夫氏の論考を引用しましたが、有料記事であるため、主要な部分が読めないことに気が付きました。読者の皆様申し訳ございません。つきましては、引用した記事の拙稿に関わる部分を抜粋してご紹介させていただきます。
専守防衛から「戦略守勢」へ転換を (抜粋)
「(専守防衛に)似た用語に「戦略守勢」がある。こちらは国際用語だが似て非なるものがある。武力攻撃を受けてはじめて立ち上がるのは同じだが、違うのは「必要最小限」でなく「合理的」であるところだ。」
中略
「パリ不戦条約、国連憲章、現行憲法ともに、国際紛争解決の手段としての戦争、つまり侵略戦争を禁止している。だが侵略を受けたなら、国連が対処するまでは自衛権を行使し、自ら国を守る必要がある。「態様」を「必要最小限」に留(とど)めるのが目的化してはならない。あくまで侵略を撃退することだ。状況が不明な中、「必要最小限」という綺麗(きれい)ごとで国家を守ることはできない。政治的に通用しても軍事的には非現実的である。」
中略
「「保持する防衛力」も国を守れる「合理的」な防衛力でなければならない。「必要最小限」に拘れば、抑止が成立しない可能性もある。抑止力とは「相手がこちらに害を与えるような行動にでるならば、相手に重大な打撃を与える意思と能力を持っていることを、予(あらかじ)め相手に明示し、相手が有害な行動にでることを思いとどまらせること」である。
抑止が成立するには、相手が我が防衛力をどう認識するかにかかっている。「必要最小限」であるが十分ではない防衛力で、相手が与(くみ)しやすしと認識すれば抑止は成立しない。目指すべきは戦争の未然防止である。相手が誤認識しない合理的な抑止力が必要なのだ。」
中略
「北朝鮮が「重大かつ差し迫った脅威」となり、中国の軍事拡張主義が世界の平和と安定を脅かすようになった今、そろそろ「専守防衛」という自縄自縛から脱し、名実共に合理性を追求する「戦略守勢」に転換すべき時ではないか。この方が国際社会での理解は得やすい。何より国内での防衛論議が現実的なものになるだろう。ぜひ次の国会で議論してもらいたい。」
以上でございます。
国を守るのは、政戦略が一致する必要があります。政治は関係国の政治情勢、歴史、文化、為政者など、多岐にわたる変化要素があるため、社会科学的な分析は困難であろうと思います。
しかし、こと軍事になれば、これほどリアリティが必要な分野はありません。織田氏が主張するのは、「合理的」であることです。専守防衛という言葉が先行し、軍事的合理性が議論を許されない状況にあると酒楽は思います。何十年もそうですし、現在も変わりません。
ただし、変化の予兆はあります。それはウクライナ戦争です。ウクライナ戦争の現実をメディアが連日報道することにより、日本人は、戦争の現実を毎日嫌というほど見せつけられているからです。日本にとってはいいことだと思います。
自国を防衛する意志のない国(アフガン)は他国に占領され国を失い、戦う意志を持つ国と民族には、価値観を同じくする国が支援し、国を保つ可能性が高いのです。犠牲は伴います。犠牲を少なくし、国を保つため、専守防衛という幻想から目覚め、戦略守勢という現実的政策を遂行しなければ、生き残ることは困難です。
更に言わせていただけるなら、自衛隊だけが戦うのでは、国を保つことは困難だと思います。国民も共に戦う必要があります。戦場に立つだけではなく、銃後で支援することは可能であり、それがなければ、自衛隊が戦いを継続することは困難なのです。日本人が現実に目覚めることを切に願うものであります。
ご清聴ありがとうございました。
専守防衛から「戦略守勢」へ転換を (抜粋)
「(専守防衛に)似た用語に「戦略守勢」がある。こちらは国際用語だが似て非なるものがある。武力攻撃を受けてはじめて立ち上がるのは同じだが、違うのは「必要最小限」でなく「合理的」であるところだ。」
中略
「パリ不戦条約、国連憲章、現行憲法ともに、国際紛争解決の手段としての戦争、つまり侵略戦争を禁止している。だが侵略を受けたなら、国連が対処するまでは自衛権を行使し、自ら国を守る必要がある。「態様」を「必要最小限」に留(とど)めるのが目的化してはならない。あくまで侵略を撃退することだ。状況が不明な中、「必要最小限」という綺麗(きれい)ごとで国家を守ることはできない。政治的に通用しても軍事的には非現実的である。」
中略
「「保持する防衛力」も国を守れる「合理的」な防衛力でなければならない。「必要最小限」に拘れば、抑止が成立しない可能性もある。抑止力とは「相手がこちらに害を与えるような行動にでるならば、相手に重大な打撃を与える意思と能力を持っていることを、予(あらかじ)め相手に明示し、相手が有害な行動にでることを思いとどまらせること」である。
抑止が成立するには、相手が我が防衛力をどう認識するかにかかっている。「必要最小限」であるが十分ではない防衛力で、相手が与(くみ)しやすしと認識すれば抑止は成立しない。目指すべきは戦争の未然防止である。相手が誤認識しない合理的な抑止力が必要なのだ。」
中略
「北朝鮮が「重大かつ差し迫った脅威」となり、中国の軍事拡張主義が世界の平和と安定を脅かすようになった今、そろそろ「専守防衛」という自縄自縛から脱し、名実共に合理性を追求する「戦略守勢」に転換すべき時ではないか。この方が国際社会での理解は得やすい。何より国内での防衛論議が現実的なものになるだろう。ぜひ次の国会で議論してもらいたい。」
以上でございます。
国を守るのは、政戦略が一致する必要があります。政治は関係国の政治情勢、歴史、文化、為政者など、多岐にわたる変化要素があるため、社会科学的な分析は困難であろうと思います。
しかし、こと軍事になれば、これほどリアリティが必要な分野はありません。織田氏が主張するのは、「合理的」であることです。専守防衛という言葉が先行し、軍事的合理性が議論を許されない状況にあると酒楽は思います。何十年もそうですし、現在も変わりません。
ただし、変化の予兆はあります。それはウクライナ戦争です。ウクライナ戦争の現実をメディアが連日報道することにより、日本人は、戦争の現実を毎日嫌というほど見せつけられているからです。日本にとってはいいことだと思います。
自国を防衛する意志のない国(アフガン)は他国に占領され国を失い、戦う意志を持つ国と民族には、価値観を同じくする国が支援し、国を保つ可能性が高いのです。犠牲は伴います。犠牲を少なくし、国を保つため、専守防衛という幻想から目覚め、戦略守勢という現実的政策を遂行しなければ、生き残ることは困難です。
更に言わせていただけるなら、自衛隊だけが戦うのでは、国を保つことは困難だと思います。国民も共に戦う必要があります。戦場に立つだけではなく、銃後で支援することは可能であり、それがなければ、自衛隊が戦いを継続することは困難なのです。日本人が現実に目覚めることを切に願うものであります。
ご清聴ありがとうございました。
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