日本人技師、八田與一の命日に台湾で慰霊祭 2022/5/8 産経ニュース
台南で八田與一技師の慰霊祭 頼副総統、台湾と日本の連携継続願う2022/05/09 フォーカス台湾
八田與一 Wikipedia
5月8日、八田與一の没後80年を記念して、慰霊祭が台湾で執り行われました。この件に関して、産経ニュースが小さな記事を配信しています。台湾メディアからは、フォーカス台湾の記事を引用しました。
戦前、日本が朝鮮を併合し、台湾を自国領としていたことは、知識としては知っていましたが、学校教育でその実情について授業を受けた記憶はありません。戦後の日教組教育は、我が国の近現代史を蛇蝎のごとく嫌い、悪い面のみを教え、いい面は決して教えようとしませんでした。
近現代史は、酒楽にとって暗闇のようだったのです。仕事柄、戦史を学ぶうちに関連する歴史に興味を持ち、貪るように近現代史の本を読んだ記憶があります。その過程で、八田與一を知りました。

八田與一 Wikipedia
そして5月8日、産経が八田與一の慰霊祭について報じていたので、併せて台湾メディアを検索したのです。
没後80年を経過した現在も八田與一の慰霊祭を行っていることが驚きです。八田はそれほど台湾に貢献したということなのでしょう。
Wikipediaその他に八田與一の業績が紹介されています。その中でも烏山頭ダムの建設は、台湾発展の礎となり、今日の台湾の発展を支え続けることになったのです。フォーカス台湾から印象的な一文を紹介します。
頼(台湾副総統)氏は、八田が建設した烏山頭ダムと嘉南大圳によって、嘉南平原は不毛の地から穀倉地帯へと変化を遂げたと言及。これによって、台湾は農業を基礎として工業や商業の発展を推し進めることができたと八田の貢献をたたえた。
こういうことです。驚くのは、八田與一は、烏山頭ダム建設のため、総督府勤務を辞し、一民間人としてダム建設を主導したことです。これは並の人間にできることではないと思います。更にダム完成後、総督府に復帰しています。
現在の公務員制度では、一度退職した公務員が、そのまま復職はできません。それを考えると当時の大日本帝国の官僚制度は、現場に裁量の余地を与えていたことがわかりますね。あるいは、総督府だからできたことなのかもしれませんが。
台湾の人々が、没後80年を経て、現在も八田與一の慰霊祭を執り行っている事実は、大日本帝国の高邁な理想の一つが現在も生き続けていることだと酒楽は思います。もちろん、苦境に立つ台湾為政者の意図もあるでしょうが、それだけで80年も慰霊祭が続くとは思えません。八田の偉業は、台湾で長く伝えられ続けているということです。知らないのは、我々日本人だけです。
そういうことで、微力ながら、2紙の記事を借りて、八田與一の偉大な業績を紹介させていただきました。ご清聴ありがとうございました。
台南で八田與一技師の慰霊祭 頼副総統、台湾と日本の連携継続願う2022/05/09 フォーカス台湾
八田與一 Wikipedia
5月8日、八田與一の没後80年を記念して、慰霊祭が台湾で執り行われました。この件に関して、産経ニュースが小さな記事を配信しています。台湾メディアからは、フォーカス台湾の記事を引用しました。
戦前、日本が朝鮮を併合し、台湾を自国領としていたことは、知識としては知っていましたが、学校教育でその実情について授業を受けた記憶はありません。戦後の日教組教育は、我が国の近現代史を蛇蝎のごとく嫌い、悪い面のみを教え、いい面は決して教えようとしませんでした。
近現代史は、酒楽にとって暗闇のようだったのです。仕事柄、戦史を学ぶうちに関連する歴史に興味を持ち、貪るように近現代史の本を読んだ記憶があります。その過程で、八田與一を知りました。

八田與一 Wikipedia
そして5月8日、産経が八田與一の慰霊祭について報じていたので、併せて台湾メディアを検索したのです。
没後80年を経過した現在も八田與一の慰霊祭を行っていることが驚きです。八田はそれほど台湾に貢献したということなのでしょう。
Wikipediaその他に八田與一の業績が紹介されています。その中でも烏山頭ダムの建設は、台湾発展の礎となり、今日の台湾の発展を支え続けることになったのです。フォーカス台湾から印象的な一文を紹介します。
頼(台湾副総統)氏は、八田が建設した烏山頭ダムと嘉南大圳によって、嘉南平原は不毛の地から穀倉地帯へと変化を遂げたと言及。これによって、台湾は農業を基礎として工業や商業の発展を推し進めることができたと八田の貢献をたたえた。
こういうことです。驚くのは、八田與一は、烏山頭ダム建設のため、総督府勤務を辞し、一民間人としてダム建設を主導したことです。これは並の人間にできることではないと思います。更にダム完成後、総督府に復帰しています。
現在の公務員制度では、一度退職した公務員が、そのまま復職はできません。それを考えると当時の大日本帝国の官僚制度は、現場に裁量の余地を与えていたことがわかりますね。あるいは、総督府だからできたことなのかもしれませんが。
台湾の人々が、没後80年を経て、現在も八田與一の慰霊祭を執り行っている事実は、大日本帝国の高邁な理想の一つが現在も生き続けていることだと酒楽は思います。もちろん、苦境に立つ台湾為政者の意図もあるでしょうが、それだけで80年も慰霊祭が続くとは思えません。八田の偉業は、台湾で長く伝えられ続けているということです。知らないのは、我々日本人だけです。
そういうことで、微力ながら、2紙の記事を借りて、八田與一の偉大な業績を紹介させていただきました。ご清聴ありがとうございました。
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